万葉集の恋の和歌がロマンチック!現在に通じる大先輩の恋愛

新元号が「令和」になり、万葉集がとても注目されていますが、万葉集の和歌がかなりロマンチックなことを知っているでしょうか?万葉集という存在は知っているけど和歌は知らない人もいるでしょう。どれだけロマンチックなものなのか紹介しますね!

万葉集の恋の和歌がロマンチック!現在に通じる大先輩の恋愛のイメージ

目次

  1. 万葉集とは?
  2. 当時の恋愛事情
  3. 天智天皇・天武天皇兄弟に愛された?|額田王
  4. 男勝りに天皇をこなした|持統天皇
  5. か弱いだけが女じゃない|大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)
  6. 多様な恋愛模様は現代にも負けない!

万葉集とは?

万葉集とは、日本最古の和歌集です。これは、学校でも習ったことがありますよね。そのため、「万葉集」というのはみんなが知っているものでもあるでしょう。

その万葉集について、もっと詳しく掘り下げて紹介しますね。

成立時期

万葉集が成立したのは、7世紀後半から8世紀後半です。今が21世紀なので、かなり昔のものということです。7世紀というと、西暦では601年~700年であり、8世紀は701年~800年ですね。

現在が西暦2019年なので、もう1000年以上も前の和歌集が万葉集ということになるのです。そう考えると、歴史あるものだというのが分かりますよね。

内容

万葉集は全二十巻あります。その内容には、自然や四季の歌、恋愛の歌、死者の歌があります。

恋愛の歌は相聞歌、死者の歌は挽歌と呼ばれています。この中でも、恋愛の歌がとてもロマンチックと言われており、昔の人の切ない恋心などが伝わってくる内容なのですね。また、相聞歌や挽歌以外の自然や四季の歌などのことを雑歌と言います。

短歌や長歌、旋頭歌などが詠まれており、感情豊かに自分の思いの丈をぶつけているものでもあります。

主な歌人

万葉集の歌人で思いつくのは「大伴家持」や「山上憶良」ではないでしょうか。しかし、今回は、女性目線で主に恋愛の歌を見ていくため、女性の歌人を紹介していきますね。

女性の歌人では、額田王、持統天皇、大伴坂上郎女などがいます。他にも、大伯皇女、但馬皇女らも万葉集の歌人として知られていますよね。

当時の恋愛事情

万葉集が歌われていた7世紀後半や8世紀後半の恋愛事情というのは、やはり現代の恋愛事情とは異なる面もありますよね。

今の人からしたら「全然理解できない!」と思うようなことも当時では当たり前に行われていたということがあるのですよ。

例えば、どんな恋愛事情があったのか紹介しますね。

女は成人したら家から出ない

今は、多くの女性が「いい男性いないかな?」と自分から出会いを求めたりするものであり、自分から自分に合う男性を探し歩くようなこともしますよね。

しかし、当時の恋愛事情は、女性は成人したら家から出ないのが普通でした。成人女性が家族以外の男性に姿を見せることは禁忌だったのです。

そうすると女性は男性が来るのをじっと待つしかないのですが、今からすると、歯がゆいものがありますよね。

和歌のできる女がいい女

当時は、和歌ができる女性がいい女性とされて男性から人気が高かったものです。美しい黒髪、殿上眉などの容姿ももちろん大事でした。しかし、そこにプラスして和歌ができるとなるとさらに評価が高まったのです。

最近でも「頭の良い女性」が男性から人気がありますが、当時も和歌ができる賢い女性のほうが人気があったということですね。

一夫多妻制

なんとこの当時、日本は一夫多妻制をとっていました。というのも、上流階級の人に当てはまったことではないでしょうか。昔の日本は、とにかく男の子を産んで跡取りを残すことが女性の仕事でもありましたよね。

そのため、男の子を世に残すためにも一夫多妻制にして男の子を産む機会を増やしていたのです。「正室」とか「側室」というのを聞いた事がありませんか?正室が第一婦人、側室は第二、第三夫人のことを意味していますね。

一夫多妻制は、イスラム教のイメージが強いでしょうが、日本でもその昔、その制度は取り入れられていたのですよ。

天智天皇・天武天皇兄弟に愛された?|額田王

額田王(ぬかたのおおきみ)は、天武天皇の妃として知られている人物ですね。飛鳥時代に貴族として生まれた人物でもあります。名前を見ると「王」とついているので男性に感じられますが、女性ですよ。

額田王は、万葉集で恋愛の歌を歌っているので、どんな内容のものなのかについて紹介しますね。

ひととなり

額田王は、天武天皇の妃ではありますが、実は天武天皇の兄である天智天皇にも愛された人物だとされています。よほど、美しかったのか和歌が上手だったのか、かなり大事にされた人であることは確かのようですね。

また、額田王が残した歌から、60歳までは生存しており、80歳近くまで生きていたのでは?という説もあります。当時の人からしたらかなりの長生きですよね。

実は、額田王は和歌が残っているだけで確実な情報というのはかなりあやふやなのです。和歌だけ残したというところがまた、風情ある人物だというのを思わせてくれるのではないでしょうか。

代表歌

額田王が書いた代表歌を紹介しますね。

君待つと我が恋ひをれば我が宿の 簾動かし秋の風吹く

この和歌は、天智天皇への歌とされています。切ない恋心が書かれているため、本当に天智天皇への歌としたら両想いだったということにもなるのではないでしょうか。

この和歌の意味は、「あなたさまを恋しく待っていますと家の簾を動かして秋の風が吹いてきます。」(出典:https://art-tags.net/manyo/four/m0488.html)です。

あなたを待っていたらあっという間に季節が変わってしまったとでも言っているような感じがして会えない切なさが伝わってきますよね。

熟田津(にきたつ)に船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな

この和歌の意味は、「熟田津で船を出そうと月を待っていたらいよいよ潮の流れもよくなってきた。さあ、今こそ船出するのです。」(出典:https://art-tags.net/manyo/one/m0008.html)です。

九州へ向かう途中、船を出すときに読んだ歌とされています。

茜さす紫野行き標野行き 野守は見ずや 君が袖振る

この和歌は、額田王の和歌の中でも有名なものではないでしょうか。聞いたことがあるという人もいるはずです。

意味は、「紫草の生えた野を行き、標野を行きながら見張りが見やしないか、いや見てしまうでしょう。あなたが私に袖を振るのを。」です。(出典:http://manapedia.jp/text/2070)

この和歌は、今は違う人と付き合っているが、あなたが私のことをまだ好きなことはあなたの態度で分かっている。その態度が周りにバレたら秘密の恋愛が漏れてしまう…。というようなことを読んでいるのです。

なんだか、今の恋愛でいう禁断の愛(浮気や不倫)を意味しているようにも感じますよね。

男勝りに天皇をこなした|持統天皇

持統天皇は、「天皇」とつくので今の人からしたら「男?」と思うでしょうが、当時の天皇を務めた女性になります。第41代天皇なのです。

ちなみに、持統天皇の父親は、天智天皇とされていますよ。

ひととなり

持統天皇は、天武天皇の皇后としても知られていますよね。天武天皇が亡くなったあとに即位せずに政治の実権を握っていました。その後、即位して持統天皇になったのです。

持統天皇は、あの時代に女性として政治を仕切っており、十分に才能を発揮していたようです。聡明な女性だったと文献が残っています。

代表歌

持統天皇の和歌を紹介しますね。一体どんな和歌を歌ったのでしょうか。

春過ぎて 夏来るらし 白妙の 衣干したり 天香具山

こちらの和歌は有名ですよね。この和歌の意味は、「春が過ぎて、夏がやってきたようですね。白い布が干してありますよ。天の香具山に。」(出典:http://manapedia.jp/text/1654)です。

春が過ぎて、次は夏が来たという夏の訪れを感じている和歌ですね。色鮮やかな歌で情景が浮かびます。

尚、小倉百人一首には「春すぎて夏來にけらし白妙の 衣ほすてふ天の香具山」として収録されています。

か弱いだけが女じゃない|大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)

次は、大伴坂上郎女の和歌について見ていきましょう。万葉集でもいくつかの作品を残している女性です。

ひととなり

大伴坂上郎女は、若干13歳で天武天皇の子供になる穂積皇子に嫁いだのですが、穂積皇子が亡くなってしまいます。その後は、藤原麻呂、大伴宿奈麻呂のもとに嫁いでいます。

何度も嫁ぐところから、一瞬「男性に支えられる女性では?」というようなイメージが湧いてくるでしょう。しかし、33歳頃にまた大伴宿奈麻呂とも死別しています。

その後は、同じく妻と死別した大伴家持をかなり支える人物になっているのです。意外と芯の強さが見える人でもありますよね。

代表歌

大伴坂上郎女の代表作について見ていきましょう。

佐保河の小石ふみ渡りぬばたまの 黒馬の来る夜は年にもあらぬか

この和歌の意味は、「佐保河の小石を踏み渡ってあなたの黒馬の来る夜は一年に何度でもあってほしいものです。」(出典:http://manyou.plabot.michikusa.jp/manyousyu4_525.html)です。

この歌は、藤原麻呂が「恋に堪える人は彦星のように一年も逢わなくても堪えられるというのに何時の間に私はこんなにも恋してしまったのだろう」という和歌を歌ったものへの返答と言われていますよ。

とても愛しい人を待っている様子が伝わってきて、足音がしたら「まさか…!」とドキドキしてしまう気持ちが伝わってきますよね。

また、お互いにお互いが恋しいことを歌っていることから、愛情の深さを感じさせてもくれますよね。

千鳥鳴く佐保の川瀬のさざれ波 やむ時もなし我(あ)が恋ふらくは

こちらも、藤原麻呂に対して返答した歌になります。意味は、「千鳥が鳴く佐保の川の瀬のさざれ波のように止む時もありません。私の恋心は」(出典:http://manyou.plabot.michikusa.jp/manyousyu4_526.html)です。

好きで好きでたまらない人への気持ちを、川の瀬のさざれ波にかけて歌っているのです。とても頭がよく、感性豊かな人だというのも伝わってくるような内容ですよね。

来むと言ふも来ぬ時あるを来じと言ふを 来むとは待たじ来じと言ふものを

この和歌の意味は、「来れるだろうと言っても来ないときがあるのに、来れないというのを来るだろうかなどと思って待ったりはしません。来れないと言っているのに」(出典:http://manyou.plabot.michikusa.jp/manyousyu4_527.html)ですう。

かなり気持ちが分かる和歌ではないでしょうか。会えると思ったら会えないときのガッカリ感はすごいのに、会えないと思ったときに会えたという期待は持つことができないという切なすぎる和歌ですね。

多様な恋愛模様は現代にも負けない!

万葉集の和歌を見ていると、かなり共感できるものが多いと思いませんか?恋愛の様式が変わっているだけであって、人間が感じるものや人を愛する気持ちは変わっていないと感じますよね。

切なさが詰まっている万葉集は、現代の人が見ても、恋愛の勉強になったり励まされたりするものでしょう。

関連するまとめ

関連するキーワード

新着一覧
最近公開されたまとめ