なぜ「性同一性障害」という言葉を嫌うのかといえば、これは「障害」と呼ばれる類のものではないからです。もちろん不便はあっても、最近では安全に手順を踏み性別を自分のものにすることができる。それなのに「障害」という言葉を使うのは、差別に繋がってしまいますよね。
トランスジェンダーと彼ら彼女らのことを呼美ますが、トランスとはラテン語で「乗り越える」という意味合いがあります。なんともたくましく勇気の出る語源は、LGBTに勇気をくれます。
セクシャルフルイディティ 「プラス」
そして、同じくセクシャルフルイディティに近いのが、Xジェンダーでしょうか。
LGBTとは、一つの形であり、その後に「X」や「Q」がつけられることもある。その一つの、「X」が、Xジェンダーです。
Xジェンダーとは、自分の性が定まらない人のことで、例えば昨日はスカートをはいたけれど今日は男として生きている、など。流動的に流れる自分の性認識の中で素直に生きている人のことです。
勿論、常識という考えに囚われた人間にはよくわからないそんざいなのかもしれない。それでも私たちが毎日食べたいものが変わるのと同じ。彼ら彼女らにとって、LGBTにとってそれが当たり前の世界。当たり前の世界でありながら、迫害される世界、なのです。
セクシャルフルイディティ アメリカでは
そして、今全米で話題となっているセクシャルフルイディティ。
「Fluid」という語源の通り、性自認や性的指向が流動的であり、定まらない人のことを指している。いうなら、バイセクシュアルとXジェンダーが合わさった状態のことでしょうか。
男性に恋をしたり、女性に恋をしたり。そうかと思えば、物に愛を注ぎ、そしてプラトニックに何も求めぬ愛を持ってみたり。浮気性なわけではなく、それでいて流動的な愛を持っている。
LGBTにおいて、そういったことは珍しくはありません。私の知り合いには女の子の体で生まれながら、男として男を愛しているトランスジェンダーのゲイがいる。マイノリティーという言葉に気圧され、ひっそりと生きてはいるがそういった人は少なくありません。
この言葉が全米に広まったのはジョニーデップの娘であるリリーがセクシャルフルイディティであるとカムアウトしたことが始まりです。日本よりも圧倒的にLGBTに理解のあるアメリカでも、まだ差別は存在している。それでも、そういった有名人にもLGBTがいるということで深い理解と、そして根本に植え付けられた嫌悪感をなくしていけたらいいなと、心の底から思っています。
セクシャルフルイディティ 割合
そもそも、世界にLGBTは左利きと同じくらいいると言われています。
これは有名な話で、割合的にひとつのクラスに二人ほど、の割合。つまり、一学年二クラスなら三学年で6人。今までLGBTに出会ったことがないと思ってる人は多いかもしれませんがそうではありません。
ただ、心ない差別に怯えて姿を隠しているだけです。彼ら彼女らは、この日本において少数な考えがどれだけ脆いのかを知っています。自分が異端者だと意味なく思い込んでしまい、罪悪感に押しつぶされて生きている。
だけれど、必ず近くに同じ苦しみを持っている人はいます。別にそれがおかしいことではありません。このセクシャルフルイディティの言葉が浸透していく中で、もっといろんな少数派に目を向けて欲しい。差別のない世界は遠くても不可能じゃない。