椎名林檎さんのご実家は、比較的に裕福な家庭であったことが伺えます。その理由として、ピアノやバレエを習っていたことに加え、お父様が外資系石油会社にお勤めになっていたからです。
因みにお兄様はR&B歌手の椎名純平さんで、2007年の1月17日に斎藤ネコさんを加えて「この世の限り」でコラボレーションシングルを発売しています。
親戚はイラストレーター
椎名林檎さんのお兄さんは椎名純平さんですが、実は叔父はイラストレーターでありブックデザイナーの辰巳四郎さんです。
その娘さんのイラストレーターの藤森玲子さんはいとこに当たるそうです。椎名林檎さんの独特な感性やアーティスティックな価値観はこういった血筋と家庭環境から形成されているのかもしれません。
椎名林檎は天才で多才!全パート担当できる!?
椎名林檎さんは、中学時代になるとバンドを結成し学園祭などで披露していました。高校時代も軽音楽部に入部し、複数バンドを掛け持ちしていました。
このバンド経験ともともと10年以上ピアノをやっていたことが相まって、様々な楽器を扱えるようになりました。因みにバンド活動を始めた時のパートはドラムでした。
完全に音楽にのめり込んだ生活
高校2年生の時のバンド「Marvelous Marble」では「第9回TEENS MUSIC FESTIVAL」に出場し全国大会で奨励賞を受賞するなどしましたが、3学期に入ると同時に高校を中退してしまいました。
ですが音楽活動は継続し、警備員やピザ屋などのアルバイトをしながら作曲活動をしデモテープを作成して各レーベルに送る生活をしていました。
その翌年に当たる1996年に「The 5th MUSIC QUEST JAPAN」にバンドで出場しましたが、大会関係者にソロを勧められたことで「椎名林檎」が誕生し、「ここでキスして。」で優秀賞を獲得しました。
椎名林檎は独特の感性が認められなかった!?
デビューが決まり東芝EMIと契約した椎名林檎さんですが、当時の制作ディレクターは彼女が制作した楽曲に大幅な手直しが必要であると判断し、椎名林檎さんとの間で衝突が起きました。
その理由として現場実績の豊富なディレクター陣からは、椎名林檎さんの楽曲に強烈な違和感を感じており、番人受けしないと判断されたことからだったそうです。
大化けの予兆かもしれない
この時椎名林檎さんは3ヶ月間ほどイギリスにホームステイしていましたが、衝突が解消されず思い悩み、日本に帰ろうとはしておりませんでした。
ですが制作サイドの違和感は、椎名林檎さんの個性が爆発する予兆なのかもしれないと考えを改め、アレンジャーに亀田誠治さんを迎えて2人に制作を委ねる形で関係が解消されたのです。
椎名林檎の結婚と離婚!子供の年齢や名前は?
インタビュー記事があったとしても、あまり日常生活を語らず謎が多い椎名林檎さん。そんな彼女は2001年に結婚と妊娠を発表しました。
では、そのお相手となった人物はどういった方だったのでしょうか?ご紹介していきます。
弥吉淳二とのスピード結婚&離婚で男児誕生!
椎名林檎さんが2001年の1月29日に結婚と妊娠を発表した際のお相手は、ギタリストの弥吉淳二さんです。出産のために一時活動を休止し、同年7月に男児を出産しました。
残念ながら翌年2002年の1月にお二人は離婚されており、お子さんの親権は椎名林檎さんが持つことになりました。カバーアルバムなどの参加を経て、翌年に活動再開しました。
児玉裕一との事実婚で女児を授かる!
やっばいこの夫婦好きすぎる...
— GEN (@gen1110sea) August 22, 2014
椎名林檎&児玉裕一夫婦!! pic.twitter.com/z435bg7nfa