スタイル抜群!吉川ひなののプロフィール
生年月日:1979年12月21日
出身地:東京都
血液型:B型
所属事務所:レプロエンタテインメント
1991年、12歳の頃に東京・銀座でスカウトされ芸能界入り、伊勢丹広告への出演がモデルデビューとなりました。
1997年、18歳の頃、モデル活動と並行して映画『瀬戸内ムーンライト・セレナーデ』で女優デビューを果たしました。同作で日本アカデミー賞新人賞を獲得、その後も多数の映画やドラマに出演しました。
また同年、シングル『ハート型の涙』で歌手デビューも果たし、まさに飛躍の年となりました。
プライベートではビジュアル系バンド「SHAZNA」でボーカルを務めるIZAMさんの結婚・離婚を経て、2011年に会社を経営する男性と再婚し、現在は二児の母となっています。
今回はそんな吉川ひなのさんのこれまでの経歴についてご紹介します。
現在39歳の吉川ひなのの本名や身長
1979年生まれの吉川ひなのさんは現在39歳です。SNSなどで見せる姿からはとてもそんな歳には見えませんよね。同い年の芸能人は同じくモデルの蛯原友里さんや、KinkiKidsの二人などがいます。
そしてこの「吉川ひなの」という名前、実は芸名なんだそうです。由来はタヒチ島に存在する「かわいい」という花言葉を持つ花の名前で、父親から名付けてもらったんだとか。ちなみに気になる本名は公式には明かされていませんが「高田愛」さんというそうです。
吉川ひなのさんといえばデビュー当初、日本人離れしたスタイルの良さで世間の注目を集めました。身長は168cmで、やはり日本人女性の平均身長よりもかなり高いようです。
吉川ひなのの出身地は東京都東久留米市
吉川ひなのさんは東京都東久留米市出身です。
自由奔放なキャラクターがお茶の間に愛されていた吉川ひなのさんですが、子供の頃から外で遊ぶのが大好きな活発な女の子だったようです。
一方で漫画を読むことも大好きで愛読書は漫画雑誌の『りぼん』だったそうで、バックナンバーは大人になるまで保管していたほど大切にしていたそうです。
吉川ひなのの最終学歴は東久留米市立南中学校
吉川ひなのさんは東久留米市立南中学校を卒業後、高校には進学していないそうです。
12歳でモデルとしてデビューた吉川ひなのさんは、その後すぐに脚光を浴びているので、芸能活動に専念するため、高校への進学は辞退せざるを得なかったのかもしれません。
当時12歳の伊勢丹の広告が話題に!モデルへの経緯は?
吉川ひなのさんのデビューのきっかけは、東京・銀座でウィンドウショッピングをしている最中に受けたスカウトだったそうです。この時わずか12歳、スカウト後すぐに伊勢丹の広告でモデルデビューを果たしました。
デビュー当時の写真からもわかるように、12歳にしてすでにモデルとして完成されたスタイルを持っていました。「8頭身美少女」として瞬く間に数々のメディアに取り上げられ、あっという間にトップモデルの仲間入りを果たしました。
過去には「家族がきらい」発言も…複雑なその生い立ちは?
吉川ひなのさんのフォトエッセイ集『ずっと途中(2005年)』には、吉川ひなのさん自身の飾らない本音が収められています。
そこで祖父がネイティブアメリカンとフランス人の間のハーフであったこと、つまり吉川ひなのさんはクウォーターであるを初めて明かしています。
そしてそのことで子供の頃にイジメを受け悩んだことや、「家族」という言葉がずっと嫌いだったこと、そしてこれらの事実を公表することは事務所から止められていたことなどを明かしました。
ここではそんな吉川ひなのさんの家族についてご紹介します。
吉川ひなのの実家はお金持ちという噂がある
吉川ひなのさんの実家について、お金持ちという噂と貧乏という噂どちらもあるようですが、どちらに関しても確かな情報は得られませんでした。
ただ幼少期の写真や自身のフォトエッセイ集『ずっと途中』に綴られた言葉から推測しても、極端に金持ちや貧乏ということもなかったのではないかと思われます。
同じ他国の地をひく兄姉妹がいる!インスタに登場も
吉川ひなのさんには実は双子の妹がいることをご存知でしょうか。妹さんは現在、パティシエの仕事についているそうですが、名前など詳しい情報は一切明かされていないようです。
そして上には兄と姉もいることがわかっています。兄については吉川ひなのさんのSNSにもたびたび登場しており、「高田一也」さんという名前でボディビルダー・パーソナルトレーナーとしても活動するイケメンです。
姉については妹と同じく情報がほとんどないのですが、銀座の高級クラブで働いているんといった噂もあるようです。
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