シシド・カフカのプロフィール!身長・体重は?
生年月日:1985年6月23日
出身地:メキシコ
所属:avex trax「cutting edge」
シシド・カフカさんと音楽との出会いは5歳のころ、両親の勧めで始めたピアノとヴァイオリンでした。しかし、この時はすぐに飽きてしまい、断念してしまいます。
12歳の時に父親の仕事で家族揃ってアルゼンチンへ移住し、ある日、両親からサイレントドラムをプレゼントされるます。そして、トレーナーとしてやって来たのは、ジャズバンドのプロドラマーとして活躍するダニエル・ピピ・ピアソラでした。丁寧な指導を受けたことでドラム演奏に開眼します。
アルゼンチンからの帰国後、高校時代からバンド活動を開始し、大学生だった19歳の時にバンド・THE NEWSに3代目ドラマーとして加入し、プロデビューを果たしました。その後、まもなくその類稀なるルックスを活かしモデル活動も始めます。
そして、あるオーディション会場で知り合ったドラマーの大島賢治さんと音楽プロデューサーの平出悟さんのアドバイスで、現在の「ドラムボーカル」というスタイルを確立します。それが話題となり、ついに本格的なデビューを果たしました。
今回はそんなシシド・カフカさんの生い立ちやデビューまでの軌跡をまとめてご紹介します。
シシド・カフカの本名は宍戸佑名!芸名の由来は?
シシド・カフカさんの本名は「宍戸佑名」さんというそうです。ではその「カフカ」という芸名の由来はどこから来ているのでしょうか。
調べてみると名付け親の存在は、コピーライターとして活躍されている渡辺潤平さんという方だそうです。その方曰く、「カフカ」という言葉はチェコ語でカラスの一種を表し、シシド・カフカさん自身がいつも黒い服やファッションをまとっている姿から発想したそうです。
「宍戸佑名」という名前も素敵ですが、芸名の方がよりミステリアスでルックスにぴったりの名前ではないでしょうか。
シシド・カフカはメキシコ生まれ!ハーフじゃない?
シシド・カフカという芸名とその日本人離れしたスタイルから、彼女がハーフだと勘違いしている方も多いようですが、それは間違いです。両親ともに日本人なのでシシド・カフカさんも純粋な日本人のようです。
ただし、出身はメキシコで、その後アルゼンチン在住経験もあるので、どこか異国の雰囲気が漂っているのかもしれませんね。
シシド・カフカのデビューまでの軌跡!
さてここではシシド・カフカさんがアーティストとしてデビューするまでの軌跡を詳細に振り返ってみます。
ドラムを始めたきっかけは?プロドラマーに学ぶ!
ドラムを始めたのはシシド・カフカさんがアルゼンチンで14歳の誕生日を迎えた頃、両親からサイレントドラムをプレゼントされたことがきっかけでした。すぐにその楽器にのめり込んだ彼女はトレーナーまで付け、本格的なトレーニングに励みました。
そしてこの時にトレーナーを務めたのが、バンドネオン奏者として歴史に名を残したアストル・ピアソラの孫であり、自身もジャズバンドでプロドラマー押して活躍するダニエル・ピピ.ピアソラでした。
シシド・カフカさんはこの恵まれた環境の中、ドラムの演奏について一から徹底的に叩き込まれました。
ドラムボーカルとしてデビュー!
アルゼンチンでドラム演奏の基礎を身に付けたシシド・カフカさん。日本に帰国し、高校時代からバンド活動に明け暮れる日々になったそうです。
大学入学後もその生活は変わらず、最高で8バンドを掛け持ちするほどだったとか。そして19歳の時にバンド・THE NEWSに3代目ドラマーとして加入し、ついにプロドラマーとして活動を始めます。
そして翌年、20歳の時に友達の付き添いで参加したロックボーカリストオーディションの会場で知り合った、ドラマーの大島賢治さんと音楽プロデューサーの平出悟さんの勧めでボーカリストとしてのデビューを目指します。
しかしなかなか芽が出ず、思い悩んでいたある日、先述の2人のアドバイスを受けてドラムを叩きながら歌うスタイルに挑戦したところ、これに手応えを感じ、自分のスタイルとして活動を続けました。
その後、ほどなくして話題を呼び、2012年についにインペリアルレコードより『デイドリームライダー』でデビューを果たしました。
モデルや女優としても活躍中!きっかけは?
19歳でドラマーとしてプロデビューを果たしたころ、スレンダーなプロポーションと妖艶なルックスを活かして、モデルとしての活動も始めたシシド・カフカさん。
モデルとしても人気を集め、いくつかのコレクションで、ランウェイを歩いた経験もあります。
また、2012年には映画『 愛を歌うより俺に溺れろ!』で女優デビュー。2014年にはフジテレビ系『ファーストクラス』でテレビドラマデビューにも出演しています。
きっかけは事務所の独断だったようで、最初は戸惑いを隠せなかったようですが、まずはその流れに身を任せようと決意したそうです。