アカデミー賞をもらった日本人受賞者一覧|作品や監督、裏方まで

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「千と千尋神隠し」は2001年(平成13年)7月20日に日本公開されたアニメ映画。千尋という女の子が引越しの途中に人間が行ってはいけない、怪物のようなたくさんの神様が暮らす世界に迷い込んでしまうストーリーです。

興行収入は300億円を超え、日本歴代興行収入第1位。その記録は2019年現在も塗り替えられていません。

2003年、第75回アカデミー賞ではアカデミー長編アニメ映画賞を受賞しました。宮崎駿監督は第87回アカデミー賞でも名誉賞を獲得しています。

「つみきのいえ」の加藤久仁生

2008年10月4日に発表された12分3秒の短編アニメーション映画です。ナレーションを女優の長澤まさみさんが務めており、ある老人を通して人生についてを象徴的に描きます。

2008年第81回アカデミー賞で、監督の加藤久仁生さんが短編アニメーション賞を受賞。日本で初めてアカデミー短編アニメ賞を受賞するという快挙を成し遂げました。

当時地球温暖化などが問題視されていたことから、それもアピールするべきだという意見もあったようですが、加藤久仁生さんは「どんな過酷な環境にあっても、人は生きていかねばならない」という自身の信念を貫いたと言います。

アカデミー賞をもらった日本人:助演女優賞のナンシー梅木

アメリカでは1957年12月5日、日本では1957年12月20日公開のアメリカ映画「サヨナラ」。原作はジェームズ・ミッチェナーさんの小説で、朝鮮戦争時の日本が舞台の、当時禁止されていたアメリカ人軍人と日本人女性との禁断の恋愛ストーリーです。

ナンシー梅木さんは主人公であるアメリカ人軍人の同僚の恋人を演じ、1957年アカデミー助演女優賞を受賞しました。

ナンシー梅木さんは北海道小樽市出身の女優で、日本でジャズ歌手として活躍した後アメリカに活動拠点を移します。そして映画「サヨナラ」でハリウッドデビューを果たすとその演技が高く評価されました。

また東洋人の俳優がアカデミー賞を獲得するのは初めてのことで、大きな快挙を成し遂げました。

アカデミー賞をもらった日本人:作曲賞の坂本龍一

1987年公開のイタリア、中華人民共和国、イギリス合作映画「ラストエンペラー」で、坂本龍一さんが1987年第60回アカデミー賞にて作曲賞を受賞しました。

デヴィッド・バーンさん、コン・スーさんとの共同で受賞であり、作曲賞を受賞したのは日本人初めての快挙でした。

坂本龍一さんは東京都出身のミュージシャンであり、音楽プローデューサーや作曲家としても活動しています。世界的に活動し、基本的にクラシックですがその音楽の幅は広く、民謡音楽や現代音楽も手掛けています。

アカデミー賞をもらった日本人:衣装デザイン編

衣装デザイン部門でも日本人はアカデミー賞を獲得しています!

「ドラキュラ」の石岡瑛子

アメリカでは1992年11月13日、日本では1992年12月19日に公開されたアメリカの映画「ドラキュラ」。原作はブラム・ストーカーの小説『吸血鬼ドラキュラ』で、ドラキュラ伯爵と一般女性とのロマンスを描く映画です。

1993年の第65回アカデミー賞で、衣裳デザインを担当していた石岡瑛子さんが衣裳デザイン賞を受賞しました。石岡瑛子さんは東京都出身のアートディレクター、デザイナーです。

東京芸術大学美術学部卒業後グラフィックデザイナー、アートディレクターとして活動し、1970年石岡瑛子デザイン室を立ち上げ1980年代からはニューヨークに拠点を移し活動していました。映画や演劇でセットデザインや衣装デザインなどを手掛け、国際的に活躍をしました。

「乱」のワダエミ(和田恵美子)

「乱」は、1985年(昭和60年)に公開された日本とフランスの合作映画です。主演は仲代達矢さんで、戦国武将を主人公にし、その晩年と3人の息子との物語です。

1985年第58回アカデミー賞で、衣装デザインを担当したワダエミさんが衣装デザイン賞を受賞しました。

ワダエミさんは京都府出身のデザイナー。京都市立美術大学在学時から衣装デザイナーとしての仕事を始め、海外の仕事も務めるようになります。そして1985年の「乱」の衣装を手がけアカデミー賞を受賞しました。

「地獄門」の和田三造

1953年(昭和28年)10月31日公開された映画「地獄門」。

監督の衣笠貞之助さんが名誉賞を獲得したのと同時に、衣装デザインを担当していた和田三造さんは衣装デザイン賞を受賞しました。

アカデミー賞をもらった日本人:メイクアップ&ヘアスタイリング賞の辻一弘

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