アカデミー賞をもらった日本人は監督や俳優だけではない!
アカデミー賞とはアメリカ映画のますますの発展を目的として、映画に携わったキャストやスタッフを様々な部門で表彰するものです。受賞者にオスカー像が授与されることからオスカーとも言われています。
仕組みとしては授与式前年の1年間に、アメリカ国内の特定地域で公開された作品を条件に選考を行います。1929年から行われており、その知名度は高く世界三大映画祭よりも古い歴史を持っています。
また授賞者にはオスカー像の授与のみで賞金が送られないことも特徴です。授賞式は毎年2月の最終もしくは3月の第1日曜日にハリウッドのドルビー・シアターで行われ、日本人も数多く授賞経験があります。
日本の作品が初めてノミネートされたのは美術部門で、1936年に第9回アカデミー賞でした。そこから様々な作品がノミネートされ、受賞を果たしています。
アカデミー賞をもらった日本人:監督編
始めに、映画監督が受賞した作品を紹介します。様々な日本の映画監督が世界で脚光を浴び、注目を集めています。
「羅生門」の黒澤明
「羅生門」は1950年(昭和25年)8月26日に公開されたモノクロ映画。主演は三船敏郎さん、ヒロインに京マチ子さんが務め、その他メインキャストとして森雅之さん、志村喬さんも出演しています。
原作は芥川龍之介の短編小説 『藪の中』と『羅生門』。平安時代の乱世を舞台に、人間のエゴイズムについて描きます。
しかしこの映画は日本で公開された当時は難解な内容のため、不評だったそうです。そんな中ヴェネツィア国際映画祭の依頼で日本の出品作を探すことになった、イタリア人であるイタリフィルム社長がこの映画を見て感動し出品作に決めたそうです。
誰も受賞するとは思っていなかったそうですが、見事日本映画として初めてアカデミー賞やヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を獲得し、日本映画が世界に広まるきっかけになりました。
1952年の行われたアカデミー賞で監督の黒澤明さんは名誉賞を受賞し、一躍脚光を浴びました。
「おくりびと」の滝田洋二郎
「おくりびと」は2008年9月13日公開の映画です。本木雅弘さん、広末涼子さんが出演しており、元プロ奏者の主人公が夢を諦め妻とともに田舎に帰り、ひょんなことから納棺師として働き始めるストーリーです。
2008年第81回アカデミー賞で監督を務めていた滝田洋二郎さんが外国語映画賞を受賞しました。外国語映画賞を受賞したのは日本人初の快挙でした。
「ザ・パーソナルズ 黄昏のロマンス」の伊比恵子
「ザ・パーソナルズ 黄昏のロマンス」は1998年に発表された37分間のドキュメンタリーです。ニューヨークのユダヤ人の地域のコミュニティセンターを舞台に芝居に没頭する老人たちの姿を写します。
新潟県出身のドキュメンタリー映画監督・伊比恵子さんが1998年第71回アカデミー賞・短編ドキュメンタリー映画賞を受賞しました。日本人でこの賞を獲得したのは初めてのことでした。
「宮本武蔵」の稲垣浩
「宮本武蔵」は1954年(昭和29年)9月26日公開の映画です。主演は三船敏郎さんが務めています。東宝初のイーストマン・カラー作品で、若く未熟な武蔵(たけぞう)が侍になることを夢見て関ヶ原の戦いに参加するエピソードから始まります。
原作は吉川英治さんの小説『宮本武蔵』で、1955年には『続宮本武蔵 一乗寺の決斗』、1956年には『宮本武蔵 完結篇 決闘巌流島』が公開されるなど3部作の第1作になります。
1955年に監督の稲垣浩さんが第28回アカデミー賞名誉賞を受賞しました。稲垣浩さんは受賞したことについて「世界中の映画人が夢にまでみたアカデミー賞を『サムライ』がもらったのは、まったく思いもよらぬことだった」と話したと言います。
「地獄門」の衣笠貞之助
「地獄門」は1953年(昭和28年)10月31日公開された映画です。主演は長谷川一夫さんで、菊池寛さんの戯曲『袈裟の良人』が原作となっています。
平治の乱で、平康忠は身替りを立てて敵を欺いたところから物語は始まります。日本初のイーストマン・カラー作品で、制作社である大映にとっても初のカラー映画だったそうです。
1955年に行われた第27回アカデミー賞で監督の衣笠貞之助さんが名誉賞を受賞しました。
大映本社でこの映画の企画が出た時、当時社長の永田雅一さんが大絶賛したにも関わらず社員たちは全員反対したと言います。それに怒った永田雅一さんが自身で無理やり映画の話を進めたそうです。
アカデミー賞をもらった日本人:アニメ編
日本が誇る文化・アニメ。アカデミー賞を受賞したアニメについて紹介します。