名前:加茂周(かも しゅう)
生年月日:1939年10月29日
代表監督期間:1994〜1997年
前任のパウロ・ロベルト・ファルカン時代にチームとのコミュニケーション不足が問題視され、やはり日本人監督の方が良いという声が上がりました。そこで、当時実績のあった加茂監督が後任として就任しました。
当時最先端だった「ゾーンプレス」という戦術を使用したことで知られています。
1998年のワールドカップアジア最終予選の韓国代表戦で敗戦し、その際の戦術に問題があったとしてファンから解任の声が挙がりました。その後の試合でも結果を出すことが出来ず、退任します。
予選中の監督変更は日本代表の歴史史上初めてのことでした。
歴代サッカー日本代表監督ランキング第9位:西野朗
名前:西野朗(にしの あきら)
生年月日:1955年4月7日
代表監督期間:2018年(約2か月間)
ハリルホジッチ監督が突然解任した為、2018年4月9日からワールドカップロシア大会までの約2か月間という契約で代表監督に就任します。
就任して3試合後、すぐにワールドカップロシア大会がありましたが、見事決勝トーナメント進出。
ただ試合の結果が良くも悪くも解任するということは決定していた為、僅かな代表監督期間で退任しました。
歴代サッカー日本代表監督ランキング第8位:ハビエル・アギーレ
名前:ハビエル・アギーレ
生年月日:1958年12月1日
代表監督期間:2014〜2015年
2014年に日本代表監督に就任しましたが、同年12月にレアルサラゴサ監督時の八百長疑惑でスペインの検察当局から告発されます。2015年のアジアカップではベスト8になりますが、その後日本サッカー協会から契約解除が発表され、短期間で解任となりました。
歴代サッカー日本代表監督ランキング第7位:フィリップ・トルシエ
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— サッカーダイジェスト (@weeklysd) November 17, 2019
「小野も本山もいないが…」ベトナムで再び若いタレントを鍛えるフィリップ・トルシエの今
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名前:フィリップ・トルシエ
生年月日:1955年3月21日
代表監督期間:1998〜2002年
日本代表監督就任後、2002年のワールドカップ日韓大会では日本代表初となる決勝トーナメント出場を果たし、ベスト16までチームを導きました。
歴代サッカー日本代表監督ランキング第6位:ハンス・オフト
\ヒストリーページ公開記念🖥:sparkles:/
— 京都サンガF.C. (@sangafc) June 15, 2018
:spiral_calendar:1998
元日本代表監督のハンス・オフト氏を監督に迎えて臨んだシーズン:soccer:️練習場を滋賀県から城陽市に移転:bus::curly_loop:https://t.co/KReyeZaUnk#sanga #京都サンガ #サンガとの思い出聞かせてください #サンガメモリアル pic.twitter.com/p4Q7pBkDZu
名前:ハンス・オフト
生年月日:1947年6月27日
代表監督期間:1992〜1993年
日本代表で初の外国人監督として就任。1992年AFCアジアカップ、1993年東アジア選手権で優勝するなど、日本のサッカー界で初めて国際大会での結果を残しました。
その後の1993年ワールドカップアメリカ大会アジア最終予選は、国民の期待が高まっていましたが惜しくも本戦出場を逃してしまいました。これが「ドーハの悲劇」と呼ばれています。
歴代サッカー日本代表監督ランキング第5位:ヴァヒド・ハリルホジッチ
名前:ヴァヒド・ハリルホジッチ
生年月日:1952年5月15日
代表監督期間:2015〜2018年
2015年に監督就任後、2017年のアジア最終予選で1位、2018年ワールドカップの出場権を獲得しました。
パスを繋げるより「縦に早いサッカー」という戦術で当初結果を出していました。しかし、相手チームがその戦術を研究してくると結果が出ず迷走。選手から戦術の見直しの声が挙がりましたが、監督はその声を受け止めませんでした。
その後、選手とのコミュニケーション不足が問題視され解任されました。
歴代サッカー日本代表監督ランキング第4位:岡田武史
名前:岡田武史(おかだ たけし)
生年月日:1956年8月25日
代表監督期間:1997〜1998年・2007〜2010年
1997年に加茂監督の後任として、2007年にオシム監督の後任として代表監督に就任します。唯一日本代表監督を2度経験したことがある監督です。
2度目の監督時代。2010年ワールドカップ直前まで、強化試合で4連敗していた為、国民からの期待は薄く「岡チャン不合格決断セヨサッカー協会」の横断幕を掲げられていました。
しかし、2010年ワールドカップ南アジア大会では、国外開催大会で初めてワールドカップ決勝トーナメント進出、ベスト16となり海外の新聞でも取り上げられました。
2010年11月には、アジアサッカー連盟よりAFC最優秀監督賞を受賞しました。