若者のカリスマ的存在だった尾崎豊とは?
生年月日:1965年11月29日
出身地:東京都世田谷区
ジャンル:ロック、フォーク
職業:歌手、作詞家、作曲家
1983年12月、現在も様々な形でよく耳にする名曲「15の夜」とアルバム『十七歳の地図』で高校在学中からデビューを果たした尾崎豊さん。
破壊的なパフォーマンスと情熱的でエモーショナルな歌詞は、当時の鬱屈した時代を生きる若者たちの心を鷲掴みにし、日本の音楽シーンに多大なる影響を与ました。
その若者たちの熱狂ぶりに、マスコミからは「10代の教祖」と持て囃され、カリスマ的な人気を誇りました。
尾崎豊の早すぎる死‥
そんな尾崎豊さんですが、1992年、当時人気絶頂だった26歳のときに突然この世を去りました。死因は覚醒剤中毒による肺水腫とされています。
突然の死にファンは茫然自失となり、社会的にも大きな衝撃を与え、東京都文京区の護国寺にて行われた葬儀・追悼式は美空ひばりさんに匹敵する規模の4万人にのぼるファンが詰めかけました。
まさに伝説のアーティストとなった尾崎豊さんの楽曲は、時を経た今も様々な有名アーティストによって歌い継がれ、世代を超えて新たなファンを生み続けています。
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尾崎豊のおすすめアルバム一覧!
①十七歳の地図(1991年発売)
1991年にリリースされ、オリコン週間ランキング最高2位、1992年度年間33位に輝いた、尾崎豊さんの記念すべきデビューアルバム『十七歳の地図』。
転校を機に学校に馴染めなくなった尾崎豊さんは、登校拒否して自宅にこもっていたときに、お兄さんのクラシックギターを手に取ったことが音楽を始めるきっかけとなりました。
井上陽水さんの詞の世界に憧れを抱いていたという尾崎豊さんは、学校にも通わずギターの練習を続け小学校を卒業する頃には大人顔負けの腕前へと成長を遂げていたそうです。
中学校に入った尾崎豊さんは友人の勧めで、いくつかのオーディションを受け、その中の一つであったCBSソニー主催のオーディションで同社のディレクターであった須藤彰さんらの目に留まり、デビューがきまりました。
若き日の尾崎豊さんが夢を掴むきっかけとなった楽曲が多数収録されている、記念すべき作品です。
②放熱への証(1992年発売)
1992年5月10日にリリースされ、オリコン週間ランキング最高1位、1992年度年間13位にランクインした6枚目のアルバム『放熱への証』。
このアルバムは尾崎豊さんが肺水腫によって亡くなった直後にリリースされた、彼にとっては遺作となった作品です。本作では作詞、作曲だけでなく、プロデュースやディレクション、アレンジなどの全てを尾崎豊さん自身が行っており、尾崎豊さんの想いの詰まった内容となっています。
歌詞カードには「生きること。それは日々を告白してゆくことだろう。 尾崎豊」という一文が添えられ、アルバムジャケットには十字架に横たわる尾崎豊さんの写真が使われています。
③愛すべきものすべてに~YUTAKA OZAKI BEST(1996年発売)
1996年9月30日にリリースされ、オリコン週間ランキング最高2位、1996年度年間37位にランクインしたベストアルバム『愛すべきものすべてに~YUTAKA OZAKI BEST』。
1992年に急逝した尾崎豊さん初のベスト・アルバムで、内容はCDエクストラとしてコンプリート・データ、未公開映像などが収録された豪華な内容となっています。
④回帰線(1991年発売)
1985年3月21日にリリースされ、オリコン週間ランキング最高1位、1992年度年間47位にランクインしたセカンドアルバム『回帰線』。第27回日本レコード大賞では優秀アルバム賞を受賞した作品でもあります。
初めてのコンサートツアーである「FIRST LIVE CONCERT TOUR」の合間を縫ってレコーディングが行われ、作詞・作曲は前作に引き続き尾崎豊さんが手掛けています。