リア充の恐怖
リア充は自分は満たされているという1つのステータスでもあります。今はこのリア充という言葉に振り回されている人も多いです。
非リア充の人は自分がリア充でないことを気にする人もいます。自分がリア充でないことを気にして、周囲のリア充の人と合わせなくてはいけないと心理的に思い込んでしまいます。そのため、あたかも自分がリア充のような発言をしたり、行動を取ってしまいます。日常の自分を偽ることはすごく体力の必要なことで、無理して自分に合わないことをし続けることで心理的に追い詰められてしまいます。
また、リア充の人も常にリア充とは限りません。仕事や恋愛は上手くいかないときもあります。しかし、リア充のときに、SNSにキス写真などまで投稿していた場合は、いきなり非リア充になったことを周囲にバレないようにしようとします。キス写真まで公開したカップルが、急に別れたということは恥かしいことであると思うのは人の心理です。
しかし、いつまでも周囲に隠しておくことはできないので、焦ってどうにかリア充に戻ろうとして、趣味に没頭したふりをしたり、急いで新しい恋人を作ろうとしたりなどします。リア充になるには無理をしていては生活が充実しないのでなれません。自分はリア充でないといけないという心理的不安に追い詰められてしまっています。
【おわりに】リア充になる必要はない
リア充は生活が充実している様子を表す言葉です。生活が充実していると感じる基準は人それぞれです。恋人がいる、仕事を頑張っている、休日が楽しいなど、その基準は様々です。つまり、誰でも気持ち1つでリア充になれるのです。なので、リア充になるには定義は存在しません。
恋人がいなくても、仕事で失敗しても、休日に家に引きこもっていても、自分がその生活で満たされていると感じることができれば良いのです。つまり、リア充の定義は自分で決めて良いのです。
毎日仕事に行って、生活ができているだけで充実していると思うことができれば、SNSに投稿されているカップルのキス写真や、楽しそうに旅行の写真などを見ても、嫉妬心は出てきません。リア充は気持ち1つでなれるものなので、大したものではないのです。