感情表現が豊かな性格のウクライナ人ですが、恋愛傾向もまた日本人男性に無いものを求めます。
感情を表に出したがらない日本人男性は「何を考えているのかわからない」のです。
言いたいことや思ったことをはっきり伝えるというのがウクライナ人の恋愛傾向で、特徴でもあります。ウクライナ人の彼女が欲しい男性は、モジモジせずストレートに愛情を伝えなければ振り向いてもらえませんよ。彼女に信頼されるのが基本なのです。
そして、日本人男性の恋愛傾向にある連絡の少なさ。ウクライナ人女性の心理とすれば、とにかくマメなことと自分への愛情を比例して考えるようです。
「マメに電話をしてくる=自分と常に話していたい=愛されている」という方式なのでしょうね。
日本人女性はここまでするとウザいと思うことも、彼女となったウクライナ人女性には必要不可欠なようで、恋愛傾向の差が大きく出ているようです。
日本人男性とすると、これまで周りが日本人なのですから日本人的恋愛傾向になっていて当然です。しかし、ウクライナ人の心理とするとものすごく物足りないどころか、愛されていないのではないかと思わせてしまいます。
ウクライナ人が彼女になった場合、必要以上と思えるほどのマメさでちょうどいいのかもしれないですね。好きな彼女のためなら努力も惜しまないはず?!
恋愛傾向の違いは生まれ育った国が違うので当然のことです。恋愛に関する心理や恋愛傾向は、お互いの歩み寄り、もしくは片方の猛烈な歩み寄りで縮まるので頑張ってほしいものです。
結婚について
ウクライナ人との結婚生活とは?
ウクライナ人は家族との時間をとても大切にします。そして、2週間ほどの長期休暇があるのも特徴で、その2週間は家族と共に過ごし家族のために使うのがごくごく当たり前のことです。
勤務時間もきちんと決まっていて、日本人のように残業残業また残業というスタイルではありません。
日本人は働き過ぎと世界から言われていますが、それはほめ言葉なのでしょうか。言い方を変えれば、時間内に仕事を終わらせることが出来ないということにもなります。
仕事を明日に回すより今日中に終わらせたいというのが日本人の心理なのですが、明日に回せない心理をウクライナ人にはなかなか分かってもらえないようですね。
そんな日本人の仕事ぶりについて、ウクライナ人にすると「家庭は二の次」にされていると思うでしょう。長期休暇の制度も浸透せず、土日も忙しければ仕事に行き、休みかと思えば接待ゴルフ…ウクライナ人女性からは理解できないことばかりなのです。
ウクライナ人の彼女がいる男性で、彼女との結婚を考えているのならば、仕事に対する考え方から変えていかないと結婚に至るのは難しいでしょうね。もしくは結婚できても、その後の結婚生活に大きく支障をきたすことになりかねません。
日本人同士でも各々の恋愛傾向には差があるものです。お国が違えばそれ以上の差が生まれます。結婚まで考えるのであれば、今までの自分から脱皮するくらいの気持ちを持ってほしいですね。
ウクライナ人のファッションについて
美男美女が多いわけですから、ウクライナ人はオシャレに関してのレベルも高いのではないかと思われがちですが、意外にもウクライナ人のファッションは地味なのです。
着飾って自分を綺麗に見せようという意識はあまり無いようですね。まあ、元が美しいのですからそれ以上の努力は必要ないのかもしれません。
オシャレをするよりも、ウクライナ人はお酒好きな人が多いので、どうせお金をかけるならファッションよりお酒!といった心理が働くようです。日本人が同じことを周囲に言おうものなら冷たい視線が突き刺さりそうですが、ウクライナ人は見事やってのけているわけです。
お金のかけ方はいろいろですが、自分の好きなことに使うのがいちばんですね。
ウクライナの美容院
これだけの美人が揃っている国なら、美容に関することが進んでいるのかと思いきや、そこはやはり日本と外国との差がはっきり出ています。
何事にも細かい気配りがあって当然、心理的に気配りが無いのはマイナスにしかならない日本と違い、ウクライナの美容院はとても合理的で、とてもワイルドなのです。
ウクライナでも当然カット前にシャンプーしてくれます。
日本なら、「椅子倒しますね」とか「熱くないですか」とか「痒いところはないですか」とか、これでもかと聞いてくれますが、ウクライナではそのすべてが一切ありません。
無いのは言葉だけでなく、顔にかけるタオルすらありません。
顔も洋服も濡れまくり、それがワイルドな美容院事情なのです。
知らない日本人はただただずぶ濡れになりますが、もしかしたら現地の人は自分でなんらかの対策をしているのかもしれないですね。
ウクライナの現状
チェルノブイリ原発事故が起きたのは1986年のことでした。当時は世界的にも大きく取り上げられ、世界は原子力の恐ろしさを再び思い知らされることになったものです。
すでに30年以上の時が流れていますが、その影響は今も色濃くウクライナに残っています。