記事の目次
- 1.神社本庁と神社庁は別なの?
- 2.1.【神社本庁・神社庁】暦とは?
- 3.- 立春なのに、まだ寒い?
- 4.- 神社庁も使う 今のカレンダーはいつから?
- 5.- 文明開化は庶民に迷惑だった!?
- 6.2.【神社本庁・神社庁】氏神様はどの神社?
- 7.- 氏神様は地名がヒント
- 8.- 神社庁より氏神様
- 9.3.【神社本庁・神社庁】神棚って、何?
- 10.- 神社庁で神棚は入手できるの?
- 11.- 神棚には何を入れるの?
- 12.- とにかく1日に参拝する
- 13.4.神社本庁と神社庁は別なの?
- 14.- 神社本庁・神社庁の設立は敗戦がきっかけ?
- 15.- 神社本庁・神社庁の前身は神祇院
- 16.- 伊勢神宮は、神社本庁や神社庁より偉い?
- 17.- 日本の自然崇拝
- 18.5.神社本庁・神社庁 VS 地元の神社!
- 19.- 靖国神社は神社本庁・神社庁の管理外?
- 20.- どの神社も神社本庁・神社庁から離脱したがっている?
- 21.- 神社本庁・神社庁は裁判が好き?
- 22.- 神社本庁・神社庁は、今だに男尊女卑の世界
- 23.- 地域の理解を得られない神社本庁・神社庁
- 24.6.神社庁は、一体いくつあるのか?
- 25.7.【神社本庁・神社庁】スピリチュアルパワーについて
- 26.- 神社本庁より強大な お伊勢さんのスピリチュアルパワー
- 27.- スピリチュアルな石清水八幡宮
- 28.- 恋愛成就のスピリチュアルスポットと言えば?
- 29.8.【神社本庁・神社庁】神社の歴史
- 30.- 鳥居はいろんな材料からできている!?
- 31.- 八幡神社や天神様って、どうして多いの?
- 32.- 京都に神社が多い理由
- 33.- 東京の神社は新しい?
- 34.まとめ
神社本庁と神社庁は別なの?
あまり一般の参拝客には知られていない「神社本庁」。神社本庁とは普通の神社と何が違うのでしょうか。
神社本庁ではなく、神社庁なら、見たことのある人もいるかもしれません。神社庁は全国にあるので、見つけやすいです。
ここでは、氏神様や神棚、暦などを紹介しながら、神社本庁と普通の神社との確執にも触れていきます。
1.【神社本庁・神社庁】暦とは?
暦は現代で言うカレンダーです。漢字そのものには天体や運命、日にちの計算方法という意味があります。
「日」は太陽を表し、「林」は稲を束ねた様子を描いています。そのため、古来から農業と密接に関わってきました。
- 立春なのに、まだ寒い?
天気予報で「立春」や「立冬」という言葉を耳にした方もいるでしょう。しかし、まだ寒いのに「立春」、つまり春の訪れなんて、おかしいのではと感じた方もいるはずです。
同じように紅葉が真っ盛りなのに「立冬」とは、早すぎると感じたこともあるでしょう。
そもそも、これは暦が現代と江戸時代以前で違ったからです。江戸時代以前は、旧暦と呼ばれる月の運行を元にした「暦」を一般的に使っていました。太陰暦とも呼ばれます。
旧暦は農業を行う際の種まきの時期や刈り取りの時期を的確に記した暦で、農業と共にあった暦と言えます。
中国の旧正月が毎年、決まった日付ではないことも、この旧暦を元にした暦で旧正月を行っていることに由来しています。
中国はカレンダーこそ新暦ですが、旧正月や中秋節などのイベントの多くは旧暦に従って、行われます。
だいたい旧暦の日付は新暦より1,2ヶ月遅いと考えればいいでしょう。元旦が1、2ヶ月遅いため、「本当の立春」も実際の季節では1,2ヶ月遅くなります。つまり、新暦による「立春」は全く意味がないのです。しかし、農業に従事する労働人口が減った日本では、あまり重要視されなくなりました。
- 神社庁も使う 今のカレンダーはいつから?
では、なぜ日本は新暦を使うようになったのでしょうか。
答えは明治維新と関係があります。
今でこそ、明治は45年続きましたが、当時の明治政府は財政難に陥っており、いつ潰れてもおかしくない状況でした。そのため、役人の給料を払うのに困りました。それが明治5年です。
しかし、頭のいい明治政府のトップは暦を旧暦から新暦に変えて、12月を短くすることで、役人へ支払う給与を削減し、財政難を乗り切ろうとしました。
現代で使われている新暦のカレンダーが採用されたのは、明治政府の財政難がきっかけだったのです。
多くの人々は文明開化によって、西洋に合わせるため新暦を用いたと考えていますが、実は明治政府の都合であったとは驚きです。
数日で旧暦の12月が終わり、すぐに新暦の1月が始まりました。
- 文明開化は庶民に迷惑だった!?
こうして、庶民は慌てて正月の準備をし、餅をつくヒマがないからと餅屋に餅を買い求めて、済ませたというエピソードも残っています。
旧暦は月の運行を元にした暦だったので、15日が満月、1日は新月だったので、夜はまっくらでした。ところが、新暦の採用によって、月の満ち欠けと暦が一致しなくなり、月末でも満月が出るようになりました。
日本は文明開化と共に風情を失ったのです。