神社本庁と神社庁は別なの?
あまり一般の参拝客には知られていない「神社本庁」。神社本庁とは普通の神社と何が違うのでしょうか。
神社本庁ではなく、神社庁なら、見たことのある人もいるかもしれません。神社庁は全国にあるので、見つけやすいです。
ここでは、氏神様や神棚、暦などを紹介しながら、神社本庁と普通の神社との確執にも触れていきます。
1.【神社本庁・神社庁】暦とは?
暦は現代で言うカレンダーです。漢字そのものには天体や運命、日にちの計算方法という意味があります。
「日」は太陽を表し、「林」は稲を束ねた様子を描いています。そのため、古来から農業と密接に関わってきました。
立春なのに、まだ寒い?
天気予報で「立春」や「立冬」という言葉を耳にした方もいるでしょう。しかし、まだ寒いのに「立春」、つまり春の訪れなんて、おかしいのではと感じた方もいるはずです。同じように紅葉が真っ盛りなのに「立冬」とは、早すぎると感じたこともあるでしょう。
そもそも、これは暦が現代と江戸時代以前で違ったからです。江戸時代以前は、旧暦と呼ばれる月の運行を元にした「暦」を一般的に使っていました。太陰暦とも呼ばれます。旧暦は農業を行う際の種まきの時期や刈り取りの時期を的確に記した暦で、農業と共にあった暦と言えます。
中国の旧正月が毎年、決まった日付ではないことも、この旧暦を元にした暦で旧正月を行っていることに由来しています。
中国はカレンダーこそ新暦ですが、旧正月や中秋節などのイベントの多くは旧暦に従って行われます。だいたい旧暦の日付は新暦より1,2ヶ月遅いと考えればいいでしょう。
元旦が1、2ヶ月遅いため、「本当の立春」も実際の季節では1,2ヶ月遅くなります。つまり、新暦による「立春」は全く意味がないのです。しかし、農業に従事する労働人口が減った日本では、あまり重要視されなくなりました。
神社庁も使う 今のカレンダーはいつから?
では、なぜ日本は新暦を使うようになったのでしょうか。答えは明治維新と関係があります。
今でこそ、明治は45年続きましたが、当時の明治政府は財政難に陥っており、いつ潰れてもおかしくない状況でした。そのため、役人の給料を払うのに困りました。それが明治5年です。
しかし、頭のいい明治政府のトップは暦を旧暦から新暦に変えて、12月を短くすることで、役人へ支払う給与を削減し、財政難を乗り切ろうとしました。現代で使われている新暦のカレンダーが採用されたのは、明治政府の財政難がきっかけだったのです。
多くの人々は文明開化によって、西洋に合わせるため新暦を用いたと考えていますが、実は明治政府の都合であったとは驚きです。数日で旧暦の12月が終わり、すぐに新暦の1月が始まりました。
文明開化は庶民に迷惑だった!?
こうして、庶民は慌てて正月の準備をし、餅をつくヒマがないからと餅屋に餅を買い求めて、済ませたというエピソードも残っています。
旧暦は月の運行を元にした暦だったので、15日が満月、1日は新月だったので、夜はまっくらでした。ところが、新暦の採用によって、月の満ち欠けと暦が一致しなくなり、月末でも満月が出るようになりました。日本は文明開化と共に風情を失ったのです。
2.【神社本庁・神社庁】氏神様はどの神社?
駅や新しい国道を起点に街が作られる現代社会では、氏神様がわかりにくくなりました。江戸時代以前は神社やお寺、城を中心に街が形成されたので、ほとんどの街に神社がありました。お寺は神仏習合の影響で同じ場所にあったりします。
城があれば、城主が支援するお寺や神社があったので、それが氏神様となります。わかりやすく言うと、自分が住んでいる土地の守り神(神社)が氏神様です。必然的に家から一番近い神社ということになります。
氏神様は地名がヒント
では、新幹線や高速道路などの交通網が発達した現代社会で、どのように氏神様を探せばいいのでしょうか。
秘密は地名(住所)にあります。郊外などの新興住宅街では地名が変わっている場所もあるので、昔の地名を地元の人に聞いてみるといいでしょう。
少し近くの神社をめぐれば、その土地の地名を関した神社や縁のある神社が見つかります。それが氏神様、つまり神社です。