天に近い山にも神が宿り、大きな木にも神様がいて、混乱を極めたことでしょう。つまり、自然信仰であるがゆえに日本人はあまり神道だとか仏教だとかを意識していません。もはや生活の一部です。
そのため、神祇院が解体されても、神社本庁という形で日本人の精神性は受け継がれます。十字架を持っていれば、キリスト教だとわかりますが、神道の場合は、せいぜい初詣に行くぐらいなので、外見からは判断できません。神棚を置いている家庭も21世紀では減りました。
伊勢神宮は、神社本庁や神社庁より偉い?
神社本庁とは伊勢神宮を本宗(ほんそう)として、作られた組織です。神社本庁の下には神社庁があり、全国に散らばっています。
伊勢神宮は神社そのものですが、神社本庁とは深くつながっています。そして、神社本庁や神社庁が全国の神社を管理しているのです。
かつて神社本庁とは内務省の外局(政府機関の一部)でした。戦後は宗教法人になっているので、国の管理はほとんど及んでいません。こうした理由からも神社本庁とは、一般の人にあまり知られていない存在になってしまいました。
日本の自然崇拝
神社というのは、日本の歴史とともに存在していたものですから、各神社の世襲によって連綿と受け継がれてきた神社がほとんどです。
別に大学へ行かなくても、親から引き継ぐことで神主になることができたのです。小さい頃から神事に関わり、自然と思想などが身につくのです。
5.神社本庁・神社庁 VS 地元の神社!
伊勢神宮を本宗とする神社本庁ですが、実は神社本庁とは別に運営し、独立している神社もあります。
それが、日光東照宮や靖国神社、伏見稲荷大社、宇佐神宮、常陸国出雲大社などです。明治神宮は一度、離脱しましたが、2010年に神社本庁下に戻っています。
靖国神社は神社本庁・神社庁の管理外?
靖国神社は元々、陸軍(旧日本軍)の大本営でした。戦争で亡くなった兵士を弔うため、神社を建てました。夏には、その御霊(みたま)を慰霊する「みたま祭り」というのが、靖国神社で催されます。
戦争で亡くなった兵士を弔うお祭りですから、かつての戦友からのちょうちんや、戦争で夫をなくした妻からのちょうちんが参道に並べられます。こうした経緯で建てられた神社ですから、神社本庁とは別なのでしょう。
どの神社も神社本庁・神社庁から離脱したがっている?
しかし、気多神社の神社本庁からの離脱は、2010年なので別です。神社本庁と気多神社との間で争いがあり、裁判にまで発展しました。
争点は「喜多神社が神社本庁から離脱するために変更した規則が有効であるか」という点です。第一審は有効となり、抗告した神社本庁側は第二審で無効の判決を勝ち取りました。
そして、納得のいかない気多神社は上告し、最高裁では、第二審の判決が棄却され、気多神社側の勝訴となりました。
神社本庁・神社庁は裁判が好き?
なぜ、裁判で争ってまで、神社が神社本庁から抜けようとするのか、気になる方もいるでしょう。実は官僚的組織である神社本庁とは各神社に直接、関わっているわけではないので、地元の人とのつながりが薄いのです。
地元に支援されて初めて成り立つ神社は、地元とのつながりを密にします。多くの神主さんが兼業しているように神社の運営は大変です。そのため、地域に密着した神社と官僚的な思考の神社本庁とは意見が分かれることが多く、対立を生むのです。
また、神社単体で運営できる大きな神社ほど、独立心が強く神社本庁から離脱したがります。場合によっては、神社本庁の過度な干渉を受けることがあるからです。
神社本庁・神社庁は、今だに男尊女卑の世界
世襲制が当たり前となっている神社界では、神道のある大学を卒業しても、長男でないとなかなか神主になれません。本当は親の神社を引き継ぎたかった次男や三男は渋々、神社本庁へ就職することになるのです。
さらに女性の神主さんを良しとしない神社本庁は天下り先として、女性神主の人事に口を出す例もあります。実家の神社で神主になれなかった神社本庁の職員を神主にするためです。神社本庁とは官僚的な存在なのです。
地域の理解を得られない神社本庁・神社庁
天下りによって、地元とつながりの薄い神社本庁の職員を神主にしてもうまくいきません。男性であれ、女性であれ地元に縁のある人物を神主にするべきなのです。
こうした官僚的な考え方が神社本庁と地元の神社との対立をますます悪化させている一因とも言えるのです。