ノンセクシュアルとは異性同性に恋愛感情を持ったとしても他人へ性的欲求を持たない人のことです。
つまり、ノンセクシュアルとアセクシャルはどちらも「性的欲求」は抱かない。ですがノンセクシュアルは「恋愛感情」を抱く。そういった些細な違いがあります。
アセクシャルとデミセクシュアル
さらに、アセクシャルやノンセクシュアルと一緒に覚えて混合視を避けたいセクシュアリティがデミセクシュアルです。デミセクシュアルとはまだあまり浸透していない言葉で、さまざまな意味がネットを飛び交っています。
デミセクシュアルは「半性愛」とよばれます。ノンセクシュアルやアセクシャルと少し似ていますが驚くほどに自認が少ないセクシュアリティがデミセクシュアルです。
デミセクシュアルはどんなジェンダーの人にも恋愛感情やその延長線上の気持ちを抱きません。ですが「ある一定の精神的な絆」により性的感情を抱くセクシュアリティのことです。
たとえば思春期になって彼氏と付き合った人がいたとしましょう。でも性的な行為に何の感情も抱かない。でも「精神的に相手に信頼や何かしらの特別な感情」を抱いたときに性的欲求を初めて感じる。少し複雑なセクシュアリティがデミセクシュアルです。
アセクシャル理解への注意点
アセクシャルやデミセクシュアル、ノンセクシュアルの相違点はわかりましたか?次は「アセクシャルなんだ」と言ったときに様々な人が考える誤解についてです。
例えばあなたが「実はアセクシャルなんだ」というと「冷たい人なんだね」と考える人がいるかもしれません。ですがそれは大きな誤解です。「無性愛」という字を見ると人に関心のない人だと受け止めることが多いようです。
アセクシャルは「LOVE」の感情は持っていませんが「LIKE」の安生は持ち合わせています。なので友人や家族に対して冷たいわけではありません。また、彼氏や彼女がいないと不便なこの国を生き抜くために「お互い家族愛」をもって、恋人制度に溶け込むアセクシャル同士もいます。
そもそも日本は性に無知な国です。それは古くから根付いた「女性は彼氏を作って子供を産むことが一番幸せ」「男性は女性と結婚して働くのがあたりまえ」という風潮から来たものです。
結婚しない社会人が増えてきたところでその風潮はいまだに変わらないのです。彼氏がいようと、彼女がいようとつまらない人生は存在します。その逆に彼氏や彼女がいなくても豊かな人生は当たり前に存在するんです。
人生のつまらなさは無性愛が原因でも、恋人がいないことが原因でもありません。それはその人の生き方が原因なのです。自分が無性愛だからといって、なにも落ち込むことはありません。
■参考記事:セクシャルフルイディティとはどんな考え方?
アセクシャルってどこで診断するの?診断できるの?
それじゃあ、アセクシャルやデミセクシュアル、ノンセクシュアルなどのセクシュアリティってどうやって自認するの?診断方法でもあるの?
そう思った方もいると思います。ではこういったマイノリティはどうやって診断、自認すればいいんでしょうか。
アセクシャルは診断できない
結論から言うと、アセクシャルに診断方法はありません。
そもそもこういったマイノリティを日本は「病気」と考えていますが、これは「病気」ではないので「診断」はできないのです。なので自認が難しいとされています。特別な特徴もありません。
世間の目にとらわれない人は振り切った考えで簡単に自認できる人もいますが、慎重な人はそう簡単に割り切れませんよね。