か弱いだけが女じゃない|大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)
次は、大伴坂上郎女の和歌について見ていきましょう。万葉集でもいくつかの作品を残している女性です。
ひととなり
大伴坂上郎女は、若干13歳で天武天皇の子供になる穂積皇子に嫁いだのですが、穂積皇子が亡くなってしまいます。その後は、藤原麻呂、大伴宿奈麻呂のもとに嫁いでいます。
何度も嫁ぐところから、一瞬「男性に支えられる女性では?」というようなイメージが湧いてくるでしょう。しかし、33歳頃にまた大伴宿奈麻呂とも死別しています。
その後は、同じく妻と死別した大伴家持をかなり支える人物になっているのです。意外と芯の強さが見える人でもありますよね。
代表歌
大伴坂上郎女の代表作について見ていきましょう。
佐保河の小石ふみ渡りぬばたまの 黒馬の来る夜は年にもあらぬか
この和歌の意味は、「佐保河の小石を踏み渡ってあなたの黒馬の来る夜は一年に何度でもあってほしいものです。」(出典:http://manyou.plabot.michikusa.jp/manyousyu4_525.html)です。
この歌は、藤原麻呂が「恋に堪える人は彦星のように一年も逢わなくても堪えられるというのに何時の間に私はこんなにも恋してしまったのだろう」という和歌を歌ったものへの返答と言われていますよ。
とても愛しい人を待っている様子が伝わってきて、足音がしたら「まさか…!」とドキドキしてしまう気持ちが伝わってきますよね。
また、お互いにお互いが恋しいことを歌っていることから、愛情の深さを感じさせてもくれますよね。
千鳥鳴く佐保の川瀬のさざれ波 やむ時もなし我(あ)が恋ふらくは
こちらも、藤原麻呂に対して返答した歌になります。意味は、「千鳥が鳴く佐保の川の瀬のさざれ波のように止む時もありません。私の恋心は」(出典:http://manyou.plabot.michikusa.jp/manyousyu4_526.html)です。
好きで好きでたまらない人への気持ちを、川の瀬のさざれ波にかけて歌っているのです。とても頭がよく、感性豊かな人だというのも伝わってくるような内容ですよね。
来むと言ふも来ぬ時あるを来じと言ふを 来むとは待たじ来じと言ふものを
この和歌の意味は、「来れるだろうと言っても来ないときがあるのに、来れないというのを来るだろうかなどと思って待ったりはしません。来れないと言っているのに」(出典:http://manyou.plabot.michikusa.jp/manyousyu4_527.html)ですう。
かなり気持ちが分かる和歌ではないでしょうか。会えると思ったら会えないときのガッカリ感はすごいのに、会えないと思ったときに会えたという期待は持つことができないという切なすぎる和歌ですね。
多様な恋愛模様は現代にも負けない!
万葉集の和歌を見ていると、かなり共感できるものが多いと思いませんか?恋愛の様式が変わっているだけであって、人間が感じるものや人を愛する気持ちは変わっていないと感じますよね。
切なさが詰まっている万葉集は、現代の人が見ても、恋愛の勉強になったり励まされたりするものでしょう。