万葉集とは?
万葉集とは、日本最古の和歌集です。これは、学校でも習ったことがありますよね。そのため、「万葉集」というのはみんなが知っているものでもあるでしょう。
その万葉集について、もっと詳しく掘り下げて紹介しますね。
成立時期
万葉集が成立したのは、7世紀後半から8世紀後半です。今が21世紀なので、かなり昔のものということです。7世紀というと、西暦では601年~700年であり、8世紀は701年~800年ですね。
現在が西暦2019年なので、もう1000年以上も前の和歌集が万葉集ということになるのです。そう考えると、歴史あるものだというのが分かりますよね。
内容
万葉集は全二十巻あります。その内容には、自然や四季の歌、恋愛の歌、死者の歌があります。
恋愛の歌は相聞歌、死者の歌は挽歌と呼ばれています。この中でも、恋愛の歌がとてもロマンチックと言われており、昔の人の切ない恋心などが伝わってくる内容なのですね。また、相聞歌や挽歌以外の自然や四季の歌などのことを雑歌と言います。
短歌や長歌、旋頭歌などが詠まれており、感情豊かに自分の思いの丈をぶつけているものでもあります。
主な歌人
万葉集の歌人で思いつくのは「大伴家持」や「山上憶良」ではないでしょうか。しかし、今回は、女性目線で主に恋愛の歌を見ていくため、女性の歌人を紹介していきますね。
女性の歌人では、額田王、持統天皇、大伴坂上郎女などがいます。他にも、大伯皇女、但馬皇女らも万葉集の歌人として知られていますよね。
当時の恋愛事情
万葉集が歌われていた7世紀後半や8世紀後半の恋愛事情というのは、やはり現代の恋愛事情とは異なる面もありますよね。
今の人からしたら「全然理解できない!」と思うようなことも当時では当たり前に行われていたということがあるのですよ。
例えば、どんな恋愛事情があったのか紹介しますね。
女は成人したら家から出ない
今は、多くの女性が「いい男性いないかな?」と自分から出会いを求めたりするものであり、自分から自分に合う男性を探し歩くようなこともしますよね。
しかし、当時の恋愛事情は、女性は成人したら家から出ないのが普通でした。成人女性が家族以外の男性に姿を見せることは禁忌だったのです。
そうすると女性は男性が来るのをじっと待つしかないのですが、今からすると、歯がゆいものがありますよね。
和歌のできる女がいい女
当時は、和歌ができる女性がいい女性とされて男性から人気が高かったものです。美しい黒髪、殿上眉などの容姿ももちろん大事でした。しかし、そこにプラスして和歌ができるとなるとさらに評価が高まったのです。
最近でも「頭の良い女性」が男性から人気がありますが、当時も和歌ができる賢い女性のほうが人気があったということですね。
一夫多妻制
なんとこの当時、日本は一夫多妻制をとっていました。というのも、上流階級の人に当てはまったことではないでしょうか。昔の日本は、とにかく男の子を産んで跡取りを残すことが女性の仕事でもありましたよね。
そのため、男の子を世に残すためにも一夫多妻制にして男の子を産む機会を増やしていたのです。「正室」とか「側室」というのを聞いた事がありませんか?正室が第一婦人、側室は第二、第三夫人のことを意味していますね。
一夫多妻制は、イスラム教のイメージが強いでしょうが、日本でもその昔、その制度は取り入れられていたのですよ。