【世界三大美女】クレオパトラ・楊貴妃と残る一人はヘレネ

【世界三大美女】クレオパトラ・楊貴妃と残る一人はヘレネ

誰もが一度は耳にしたことがある「世界三大美女」。世界三大美女と聞くとさぞかし絶世の美人だったのだろうと想像しますが、有名なあの世界三大美女は本当に美人だったのでしょうか?今回は世界三大美女の特徴や言い伝えなどについてまとめてみました!

記事の目次

  1. 1.世界三大美女って誰が決めたの?
  2. 2.世界三大美女①クレオパトラ
  3. 3.世界三大美女②楊貴妃
  4. 4.世界三大美女③ヘレネ
  5. 5.小野小町は世界三大美女ではない?
  6. 6.現代の世界三大美女は?

小野小町は言わずと知れた有名な女流歌人であり、和歌が格別に上手な女性でした。

百人一首にもある「花の色は 移りにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに」という和歌は「花の色はあせてしまった。長雨が降り続くなか私が物思いにふけっている間に」と解釈しますが、大人の女性の繊細な心の在り方がとてもキレイに表現されている名句です。

この時代では和歌ができる女性が素敵な女性だと高く評価されていて、小野小町は秀逸な恋愛の和歌をいくつも残していたため後の世で美人だと噂がついたのではないかと言われています。

百夜通い(ももよがよい)の悲劇

小野小町と言えば百夜通い(ももよ通い)の話も有名です。

当時、小野小町に熱心に恋心を寄せる深草少将という青年がいました。彼のことを鬱陶しく思っていた小野小町は彼を諦めさせるために、「わたしのもとへ百夜通ったらあなたの思いに応える」と伝えます。

深草少将はそれから毎夜ごとに小野小町のもとへ通いますが、あと一日で百夜という前に病気で命を落としてしまいます。

それを知った小野小町は自分の言った言葉をたいそう悔やんだというお話です。

この悲劇の恋のエピソードも、小野小町がさぞ美しい女性だったのだろうと伝えられる1つの理由だと考えれます。

■平安時代の美人についてもっと知りたい方はコチラの記事もどうぞ!

平安美人の顔立ちとは?平安時代の美人はあまり美人じゃなかった? | Lovely[ラブリー]のイメージ
平安美人の顔立ちとは?平安時代の美人はあまり美人じゃなかった? | Lovely[ラブリー]
平安美人という言葉を聞いたことありますか?平安時代の平安美人とはどういう基準で美人と言われていたのでしょうか。平安時代の平安美人とは今の基準とは違い、今の時代の美人と言われている人の基準と違いました。では、平安美人とはどういう人の事をいうのでしょうか。

現代の世界三大美女は?

世界三大美女と小野小町についてご紹介しました。

4人の女性は歴史上や神話の人物ですが、現代の女性の中から世界的美女を選ぶ「世界で最も美しい顔トップ100」というランキングもあるのをご存知でしょうか。

こちらのランキングは賛否両論ありますが、世界のいろんな国の様々な美女が紹介されていますので、もし興味がある方はそちらもぜひチェックしてみてくださいね♪

わんらぶ
ライター

わんらぶ

愛犬とのドッグカフェ巡りが趣味のマイペース女子です。役に立つ情報を分かりやすくお届けできるように頑張ります!

Related article /

関連記事

Ranking /

人気の記事
Copyright (C) Lovely