干支の順番の意味や由来・理由は?十二支の覚え方・読み方も解説

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干支の順番に由来や意味はあるの?

干支(えと)。由来以前に読み方からして難しい干支ですが、順番や理由、読み方はどのように決まったのでしょうか?また、順番に由来や伝説はあるのでしょうか?
一見、法則がなさそうなものでも、由来を知り、理由づけして覚えると頭に入りやすくなります。ここでは、干支の由来や歴史を通して、簡単な覚え方や読み方を紹介していきます。また、暮らしの中に隠れている干支にも触れます。

1.干支の由来と意味

現代の暮らしから遡ること4千年。紀元前2697年頃に、中華の始祖・黄帝が天と地の気を探るよう命じました。つまり、五行の探求です。
何名かの学者が古代中国の夏王朝から商王朝に至る皇帝の名前に、「十天」が使用されていることを発見しました。

鄭文光が著した「中国天文学源流」によれば、十天は古代中国神話の「生十日」にあるとされています。そこには十進法の概念が記され、狩猟の時代に「十二地支」を元に「月は十と二、存在する」というところまで発展しました。殷や商の王朝の前に、すでに「十二辰(辰は日、月、星の意)」となっていたのです。したがって、鄭文光は「十二支は夏の時代の人々に由来する」と推測しました。

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– 60で一つの順番を意味する

陳遵イは、「中国天文史」において4千年前の夏の時代には、干支が作られたと記しています。
杜石然などは、「中国科学技術史稿」の編集において、夏の時代に、「十天暦法」が存在したと主張し、商王朝は夏王朝の「天干暦」に基づいて、「干支暦法」へと進化させたと記しています。
それは、「十天干」と「十二地支」を合わせた60を一つのサイクルとした暦法だったのです。現代の暮らしで使われる還暦(60歳)の由来でもあります。

– カレンダーの始まりと干支の順番

三国時代末期(西暦260年頃)には、各国の歴史家によって収集、蓄積された「世本」の由来によると、「暦を作り、甲子とする」とあります。
また、「尚書正義」には「黄帝(中国歴代皇帝の一人)に仕えた二人の大臣が、これより「甲子暦法」を採用し、60日で甲子を一周させる」としました。

どうやら干支の由来は、三国時代末期に作られたと考えられ、五行を採用し、占い機を作り、甲乙を日にちとして暮らし始めたのです。
そして、子丑(十二支)を月の名として、天を日にちに、地を月に用い、陰と陽に分けました。

2.干支の順番に動物がつけられた理由と意味

十二支のレースをご存知の方も多いですが、中国・清朝の劉献「広陽雑記」と李長卿の「松霞館贅言」によれば、時刻を元にした覚え方を記しています。
「子」がどうして鼠かと言うと、夜が明けるのを子と言い、気が開いていない状態です。鼠は虫を食べます。そこで、夜が明ける前を待たなければなりません。よって、子は鼠と言うのです。
そして「丑」は地を表します。牛は地面のものを食べるので丑は牛となりました。

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