花魁とは?
花魁(おいらん)とは、吉原で位の高い遊女のことを意味しています。吉原の遊女は太夫、格子、散茶、梅茶、局という階級があり、太夫と格子は部屋持ちの位の高い女郎であったことから花魁と呼ばれていました。
花魁の語源は花魁の妹分に当たる禿(かむろ)や新造などの遊女が姉の女郎を「おいらの所の姉さん」と呼んでいたことから「花魁」と呼ぶようになったなどの諸説があります。
花魁言葉とは?
花魁言葉は廓言葉といい、代表的なものとしては語尾に「ありんす」を付けるものがあります。そのため花魁言葉はありんすことばと言われることもあります。元々花魁言葉は京都の花街・島原で使われていた言葉でしたが、後に吉原でも使われる言葉になりました。
花魁言葉が使われるようになった理由は?
花魁言葉が使われるようになった理由は、吉原には様々な地方から遊女見習いの女性が入ってきたためです。彼女たちは地方のお国訛りの言葉を話すため、何を言っているのか分からない、言葉使いに品性が感じられないなどの理由から、見習い遊女たちは花魁言葉を覚えさせられるようになったのです。
また男性客が遊女たちに田舎の出ではなくやんごとない身分の女性を望んだために花魁言葉が生まれたのではと雑学で考えられています。
花魁たちは自分のことを何と呼んだの?
花魁遊女たちは自分のことを「わっち」「わちき」などと呼んでいました。これは語尾に「ありんす」を付けるのと同じように、遊女たちの出身を隠すための意味がありました。
当時田舎から遊廓に来た娘は自分のことを「おいら」などと呼んでいました。しかしお客の前で遊女がおいらと言ったら、お客の方は興が失せてしまいます。そのため遊女たちは自分のことを「わっち」「わちき」と呼ぶように教えられたのです。
また雑学では花魁という言葉は、「おいら」という言葉から生まれたものだと考えられています。田舎の出である遊女たちが自分のことをおいらということを隠すために「おいらん」というように教えられたことから、「花魁」という言葉が生まれたといわれています。
花魁言葉のありんすとは?
吉原などの遊廓では、遊女は語尾に「ありんす」という言葉を付けて話していました。つまり現代では「~です」という言葉を、遊女たちは「~でありんす」という風に話していたことになります。
「ありんす」などの花魁言葉はお客に優雅な印象を与えると共に、遊女たちの出身を隠す意味もありました。特にお国訛りは語尾に出やすいため、遊女たちは「~でありんす」などの言葉を使ったと雑学で考えられています。
しかし「ありんす」という言葉は実際にはあまり使われることはなく、例えば「~へ行きます」という言葉は「~へ行くでありんす」というように考えられがちですが、実際には「~へ行きなんす」というように、主に「なんす」という言葉がよく使われていたようです。
花魁言葉のありがとうは?
遊女たちは「ありがとう」というときは「ありがとうござりんした」という花魁言葉を使っていました。つまり現代語で「昨日はありがとうございました」という言葉は、花魁言葉で「昨日はありがとうござりんした」と言います。
「ありがとうござんりんした」という言葉は、「ありがとう」の語尾に「ござりんした」を付けることで遊女たちの出身を隠す意味合いがあったと雑学で考えられています。