記事の目次
- 1.チーマーの意味は?ヤンキーやチンピラとの違いは?
- 2.チーマー以外のワルの一種:ヤンキーの意味
- 3.チーマー以外のワルの一種:チンピラの意味
- 4.チーマー以外のワルの一種:ツッパリの意味
- 5.チーマー以外のワルの一種:ギャングの意味
- 6.チーマー以外のワルの一種:暴走族の意味
- 7.元チーマーのモテる男子芸能人1【高谷裕之】
- 8.元チーマーのモテる男子芸能人2【東幹久】
- 9.元チーマーのモテる男子芸能人3【真木蔵人】
- 10.元チーマーのモテる男子芸能人4【坂口憲二】
- 11.元チーマーのモテる男子芸能人5【魔裟斗】
- 12.元チーマーのモテる男子芸能人6【ZEEBRA】
- 13.チーマーはなぜ現れた?
- 14.元祖モテる男子チーマーファッション1【渋カジ(アメカジ)】
- 15.元祖モテる男子チーマーファッション2【革ジャン】
- 16.元祖モテる男子チーマーファッション3【エンジニアブーツ】
- 17.元祖モテる男子チーマーファッション4【リーバイス501】
- 18.元祖モテる男子チーマーファッション5【チームジャンパー】
- 19.元祖モテる男子チーマーファッション6【ヘアバンド】
- 20.元祖モテる男子チーマーファッション7【バンダナ】
- 21.チーマーはもはや絶滅危惧種…あこがれに留めておいて!
ツッパリは1980年代に構成され、就学意欲のない中学生がメンバーの大部分を占めていました。言葉遣いや行動は荒くれ者そのもので、血気盛んなせいか、些細なことで喧嘩を繰り返していました。
ツッパリはそうした非行・不良行為をする若者たちを総称する呼び名として使われていました。
ツッパリはチンピラと似た雰囲気ですが、大きな違いはそのファッションにあります。ツッパリの特徴は、刺繍の入った学生服や規定外の服装。
女子の場合、足に向けて大きく膨らんだ丈の長いスカートを着用していることが多く、これもヤンキーと同じく、スケバンの影響を大きく受けていると考えられます。
そしてツッパリ男子の最たる特徴は、ポマードで固めて作る独特のリーゼントスタイルです。他にも、ツッパリ男子はパンチパーマ、ツッパリ女子はアイロンパーマなどのヘアスタイルが横行していました。
男女ともに革ブルゾンやオートバイが、ステータスの一種になっていたようです。
■参考記事:懐かしい?逆に新しい?80年代ファッションをチェック!
チーマー以外のワルの一種:ギャングの意味
ギャングは英語のgangから生まれた外来語で、元々集団やグループを表す言葉です。
アメリカで暴力的犯罪者集団をギャングと呼ぶようになって以来、昭和初期の日本でも、社会的規範に沿えず、悪いことをするために集まった不良たちのことをギャングと呼ぶようになりました。
ギャングは今ではほとんど耳にすることがなくなり、使うにしても小学校後半くらいの子供が、同性グループでいたずらや遊びをする場合に、冗談で使われることがあるくらいです。
1990年代後半から2000年代前半にかけて、渋谷を中心としたヒップホップやハードロックの人気の高まりに乗じて、チーマーは「カラーギャング」という名称に変わりました。
カラーギャングはチームごとに違いのあるカラーを有し、それぞれおそろいのTシャツやバンダナを着用することで、グループそのものを誇示していました。
チーマー以外のワルの一種:暴走族の意味
夜の街をオートバイや車で集団でけたたましく走り回り、一般市民を威嚇し、気に食わないことがあると暴力行為を働く。これこそがまさに暴走族の特徴と言えます。女性だけのグループはレディースと呼ばれています。
テリトリーを巡って、暴走族同士の争いが勃発することもあり、実質的にチンピラ同士の抗争やストリートギャングに近い性質があります。
旗を掲げたり、革ブルゾンなどの特攻服のようなファッションに身を包みながら道路を走行する姿はともかく、暴走族の一種独特のファッションは、1970年代から1980年代全般に、暴走族という名称にあこがれた不良少年・少女たちの間に広まっていきました。
芸能人では、ロックバンドグループ「キャロル」の矢沢永吉、俳優の舘ひろしや岩城滉一は暴走族グループに属していたと言われています。
元チーマーのモテる男子芸能人1【高谷裕之】
元チーマーの芸能人1人目は、総合格闘家の高谷裕之です。
高谷裕之は現在もDREAMフェザー級王者に君臨する総合格闘家で、子供の頃から喧嘩に明け暮れていたというエピソードと、パンチ中心のファイティングスタイルで有名です。
相手を一撃で失神させるほどの威力のあるパンチを武器とし、そのファイティングスタイルから、「喧嘩番長」のあだ名がつくほど。
チャラチャラとしたイメージは一切なく、見た目の怖さも、元チーマーだったという十分な証拠付けになっています。
「とりあえず有り余ったエネルギーを発散させなくちゃいけない」と考えて総合格闘技の世界に入った事実を知ると、チーマー時代に渋谷でどれほど暴れていたか、つい想像してしまいますね。