「蛙」を使ったことわざ・慣用句・四字熟語11選!
日本には様々な生き物を使ったことわざや慣用句が存在しますが、その中でも「蛙(かえる)」を使ったものは多く登場します。
日本だけでなく世界各国でも蛙を使ったフレーズを見かけることが多々あり、表現として用いられる生き物の中では人気なものの一つであると言えるでしょう。
蛙といえば小さくて緑色の体をしたアマガエルや、茶色で太い鳴き声を出すウシガエルなど様々な種類が存在しますが、それらの蛙の特徴を踏まえて作られた表現は非常にユニークで印象深いです。
ここではそんな「蛙」をつかったことわざや慣用句、四字熟語の中でも有名なものをいくつか紹介していきます。
①蛙の子は蛙
意味は「子供の性格や特徴は、どうしても親に似てしまう」です。蛙のように地味で平凡な親から生まれた子供は、同じように地味で平凡に育ってしまうという皮肉めいた意味で用いられます。
親子ともども優秀であるという意味で使われることはあまりなく、あくまで「親に似て子供もたいしたことがない」といったネガティブなイメージで使用されることが多いので、間違って使ってしまわないように注意が必要です。
ことわざの由来は、蛙の卵から生まれるのは親とは全く似ていないおたまじゃくしですが、成長するにつれて蛙の姿へと変わってしまい、結局は親と同じように平凡のままであるという考え方からきているようです。
皮肉めいたことを言うときに使用することができ、それ以外には謙遜の気持ちを表す際にも使うことができます。
よく使われる「蛙の子は蛙」に似たことわざは?
このことわざの類義語として挙げられるものは、「瓜の蔓に茄子はならぬ」や「狐の子は面白」、「血は争えない」などがあります。
3つとも意味は「蛙の子は蛙」と同じです。
②井の中の蛙大海を知らず
意味は「知識や情報量に乏しく、さらにその知識量で得意げになっているさま」です。井戸の中で生きている蛙のように自分が存在する小さな範囲こそがすべてだと思い込んでしまい、もっと広い世界のことを考えようともしない様子を表したことわざです。
このことわざの由来は、中国の古い書物から来ています。書物の中では中国語で表記されており、実際に「井の中の蛙大海を知らず」という言葉がそのまま出てきたわけではありませんが、日本でことわざとして用いる際に修正されてできたことわざであると言われています。
意味通り自分の居場所がすべてだと思い込み、見識が狭くなっている人に対して使用することができます。
③蛙鳴蝉噪
意味は、「意味もなく、ただ大声で叫んでいる様子」です。夏になると蛙や蝉はただひたすらに鳴き声を上げているように見えますが、このことわざは実際に人が騒々しく話し合ったり、意味もなく会議を行ったりしている様子を蛙や蝉に例えて言い表したものであると言えます。
由来は大昔の中国の詩人である「韓愈(かんゆ)」という人が詩の中に取り入れた言葉から来ていると言われています。韓愈は、当時国を改革するために集まったメンバーが、ただ意味もなく話し合いをするだけでうるさいだけであると感じ、それをそのまま詩を使って表現しました。
大規模なイベントや群衆、あるいは会議などがあまり意味をなさず騒がしいだけであると感じられるときに用いられます。
④蛙の面に水
意味は「どんな状況に直面しても、どんな壁にぶつかっても表情や態度に出さず、平然としているさま」です。
蛙は自分の顔に水をかけられたとしても顔色一つ変えず常に同じような態度で生きています。水の中で生きることができるため当然と言えば当然ではありますが、「蛙の面に水」はこの様子を人に例えて用いられます。
由来は、京都のいろはかるたから来ています。いろはかるたは江戸、大阪、京都の3つに種類が分かれており、それぞれ内容が異なります。その中の京都のかるたに含まれており、フレーズがそのまま使用されています。
間違ったことをしているひとや頑固な人に何かを助言してあげたが、全く聞く耳を持たなかったときなどに使うことができます。
⑤蛇が蛙を呑んだよう
意味は「細長い見た目をしたものの途中が膨れ上がっていて、恰好が良くないさま」です。蛇は獲物を食べるとき噛まずにそのまま飲み込むようにして食べるため、体の中を通っていく際はその部位が食べたものの分膨れ上がってしまいます。このことわざはそんな様子を例えたものです。
こちらの由来は、意味そのままで蛇が蛙を呑みこんだ様子が非常に奇妙で不格好であったことから来ています。
例を挙げると、太った友人が極端に細身の服装をしていて似合っていないときに、皮肉を込めて使用することができます。
⑥蛇に睨まれた蛙
意味は「怖いものや自分よりも強いものと対面した際に、恐怖や緊張で身動きが取れなくなるさま」です。蛇は蛙を餌として食べることができますので、蛙にとっては恐ろしい存在です。あまりに怖すぎて体が固まってしまったと表現することがありますが、このことわざではそれを蛇と蛙を用いて表しています。
由来は意味の通りで、蛙が蛇に睨まれた時身動きが取れなくなると考えた昔の人々がこのことわざを使用するようになりました。
ミスをしてしまった人が上司に呼び出されて委縮している様子などを指すことができます。
⑦蛇に見込まれた蛙
こちらのことわざは上記のことわざの「睨まれた」の部分が変わっただけで意味や用途はほとんど同じとなっています。
「見込まれた」というと、蛇に認められて蛙は食べられずに済んだというようなイメージを抱いてしまうかもしれませんが、実際には「見込まれた」=「睨まれた」というニュアンスで意味をとらえる必要があります。
例を挙げると、「会社の会長を前にした私は、蛇に見込まれた蛙のようだった」と言うように使うことができます。