記事の目次
- 1.口吸い=キス?キスとは
- 2.口吸い=キス?口吸いとは?
- 3.口吸いと口付けの違いは?
- 4.口吸いの行為はいつから始まったの?
- 5.口吸いの行為で確認できるのは
- 6.口吸いとはどういう意味のものだったの?
- 7.接吻という言葉が生まれたのは?口吸いではないキス?
- 8.口吸いの仕方とは
- 9.口吸いには隠語があった?
- 10.番外編!遊女たちが使ったその他の隠語
- 11.平安時代の口吸い
- 12.室町時代の口吸い
- 13.戦国時代の口吸い
- 14.江戸時代の口吸い
- 15.番外編!江戸時代の夜の言葉
- 16.NHK『真田丸』の口吸い◎11話
- 17.NHK『真田丸』の口吸い◎49話
- 18.口吸い以外の表現方法
- 19.口吸いをチュウと呼ぶようになったのは
- 20.江戸時代のキス事情を解説!まとめ
室町時代の口吸い
室町時代の口吸いとは、どんなものでいつから使われていたのでしょうか。
この頃の時代の文献には『御伽草子』などがあります。
有名な浦島太郎の話の土台となるようなお話が収録されている作品です。
『御伽草子』には、男女間の話がとても多いのだそうです。
その中にも、口吸いを思わせる場面があったようです。
またこの時代の遊郭の遊女たとは、男性の相手をするだけでなく芸を披露する見世物をしていました。
出雲阿国率いる一座は有名ですが、女性だけで芸をしていたのだそうです。
風紀の面から女性だけの一座が禁止されて、男性だけの歌舞伎へと変わっていったのだそうです。
室町時代になると、徐々に世間の考え方が変わっていったと考えられます。
そして戦国時代へと時代は進んでいくのです。
戦国時代の口吸い
戦国時代の口吸いとは、どんなものでいつから使われていたのでしょうか。
「英雄色を好む」と言われていますよね。
戦国時代での女性好きと言えば、豊臣秀吉でしょうか。
豊臣秀吉は戦国時代に、お寧を妻として大切に扱ったとされています。
信長の死後は、戦国時代の日本統一を目指していくわけです。
しかしあまりにも女性好きであったため、戦国時代の武士としてよりも、色狂いが目立ってきてしまいます。
仕方なく側室をどんどん増やしていくことになります。
その側室の1人が戦国時代の覇者の織田信長の娘、茶々です。
戦国時代ではよくある話なのかもしれませんが、父親の部下だった人との結婚だったのですね。
歳の差がかなりあった2人ですが、子供も生まれて、戦国時代ではありましたがとても幸せに暮らしたと言われています。
そんな戦国時代の文献にも口吸いのことが書かれています。
豊臣秀吉が、愛する息子に送った手紙です。
「今度そちらへ行って口を吸いましょう。
お母さんに口を吸われてはなりませんよ」
と書かれていたそうです。
戦国時代には、口吸いはキスに近い意味で使われていたのかもしれませんね。
それでも子供に対して「口吸い」という言葉を使うのはとても珍しいとされています。
江戸時代の口吸い
江戸時代の口吸いとは、どんなものでいつから使われていたのでしょうか。
戦国時代が終わり、天下泰平の世となりました。
江戸時代の特徴には、戦国時代にはあまり語られることのなかった遊郭の話があります。
吉原の遊郭では、お客を喜ばせる1つの技としての「口吸い」がありました。
江戸時代の風俗を描いた浮世絵に男女の性行為を題材にした春画と呼ばれるものがあります。
そこにも数多くの口吸いの場面が描かれています。
口吸いの男女が描かれた春画には、喜多川歌麿の「歌まくら」や西川祐信 の「春宵秘戯図巻」、葛飾北斎の「富久寿楚宇」などがあげられるそうです。
葛飾北斎も春画を描いていたのですね。
さらに葛飾北斎の艶本『喜能会之故真通(きのえのこまつう)』にある「蛸と海女」は、2匹の蛸と女性が口吸いをしているという春画もあります。
江戸時代には、口吸いは女性に快楽をあたえるものだという認識があったことがわかります。
戦国時代にはなかった娯楽かもしれませんね。
一方で、遊郭の遊女の中には、口吸いは本当に愛している男性としかしないという女性もでてきたそうです。
江戸時代の口吸いは、深い愛情表現の1つとしての意味が出てきたのかもしれません。
口吸いは女性にとっての特別なものへとなっていったのです。