他にはどんな水晶ドクロがあるの?
ヘッジススカルと呼ばれるもっとも有名なクリスタルスカルについて主に説明してきましたが他にはどのようなクリスタルスカルが存在するのでしょうか。
先住民族の話では13個のパワーストーンとしてクリスタルスカルが存在するという話でしたがどこからが水晶ドクロかという線引きがないため実際のところは厳密な数は分かっていません。
有名なものではブリティッシュスカルがあります。こちらはジョン・エヴァンズという人物が1897年に大英博物館に売却したもので今でも大英博物館に飾られています。
残念ながら1996年に実施された分析により、偽物であることが判明しています。こちらも13個あるパワーストーンの1つです。
もう1つ有名なのがE.T.スカル。こちらもいわゆる13個ある伝説のパワーストーンの1つで映画のE.T.に似ていたためそう名付けられました。
伝説のパワーストーンではありますがロサンゼルスのディーラーから買ったものということです。筆者はこの説明を初めて読んだ時つい笑ってしまいました。進行形で伝説をつくってよいのでしょうか・・・?
結局水晶ドクロは本物?
最初の解析は1970年代、ヒューレットパッカード社によって行われましたがその時は当時の技術の限界もあり、真相を解き明かすことはできませんでした。
真相が解明されたのは2008年、アメリカのスミソニアン博物館の研究機関により調査が行われたためです。こうしてみるとかなり最初の分析から期間があいてるんですね。
走査電子顕微鏡による表面の分析が行われた結果、水晶自体に鋭い直線が刻まれていることが分かりました。
明らかに手によってつけられたものではないその傷跡と、それが19世紀末に登場した研磨機械を使った際にできる傷跡と一致したためクリスタルスカルはマヤ文明のスピリチュアルなオーパーツではなく偽物と結論付けられました。
また世界に10数個あると言われていた他のクリスタルスカルにおいても同じく分析がなされ、そのどれもが同じ19世紀末に登場した研磨機械によってつくられたものであることが証明されました。
残念な事に水晶でつくられた頭蓋骨を模したドクロは偽物だったのです。当時の最先端の科学と研究が遂にクリスタルスカルの謎を解き明かした瞬間でした。
本当は水晶ドクロはどうやってみつかった?①
本来歴史的な価値があると分かる工芸品は発見された後すみやかにしかるべき場所に保存されますよね。現代であれば博物館や国の研究機関でしょうか。
ですがスピリチュアルなオーパーツとしても少々疑わしく思われていたクリスタルスカルにはそういったことはありませんでした。それにもし偽物だった場合ヘッジス探検隊がどうやって入手したのかも気になりますよね。
実際のところは発見までに少々難儀な過程をたどっています。でどころを突き止めることが難しかったこともクリスタルスカルがすぐに偽物とは断定されなかった要素の1つであったことは間違いありません。
19世紀末にフランス・パリの古美術商であったユージン・ボバンという人物が大きくかかわっていて、彼は当時の古代文明の発掘ブームに乗じて密かに偽造品を売りさばいていました。
彼はメキシコ皇帝とも仲が良かったためメキシコで入手した古代遺跡品という名目で数々の発掘品をパリで売っており、その中の1つにクリスタルスカルもあったとされています。
もともとマヤ遺跡から直接出土したものではなかった上、当時はインターネットなども当然なかったため国をまたいだ品の鑑定は難しかったのでしょうね。
本当は水晶ドクロはどうやってみつかった?②
では古美術商ユージン・ボバンはどうやってクリスタルスカルを入手したのでしょうか。ドイツ中西部のイーダー・オーバーシュタインと呼ばれる街にその秘密はありました。
ここは石の加工場として有名な街で小さいながらもヨーロッパで有数の宝石の加工場でした。ここでユージン・ボバンは宝石職人にクリスタルスカルをつくらせたのです。