江戸時代のセックスは、なんともう始まった瞬間から本番行為をしていたという説があるのです。
セックスに積極的なのは男性だけではなく、女性もまたセックスやエッチなことに関して積極的だったのだとか。
というのも、セックスの上手さなどはある種、当時の女性としてのステータスとも言えるようなものだったのです。
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江戸時代のエロ事情!避妊はしなかった?!
セックスの際に、望まない妊娠をしないためにも必ず行うべき避妊。
この避妊というのは、今となっては常識…というよりはセックスの際にお互い気をつけるべきマナーとも言えますし、避妊のためのアイテムというのも簡単に手に入ります。
避妊器具の代表と言えるコンドームは、比較的どこでも簡単に手に入りますし、ピルという薬も誕生するなど、避妊器具に困ることはまずあり現代ではありません。
しかし!現代よりもエッチなことに積極的で、セックスも日常的に行っていた江戸時代には、このような避妊器具は身近なものではありませんでした。
コンドームなどが無かった訳ではありませんでしたが、とても高価なものとして扱われていましたので、避妊をせずにセックスをするなんていうのも珍しくは無かったのです。
コンドームが高価で買えない!という人は、和紙などで代用していたという説もあるのだとか…!
エロ歴史!江戸時代近辺の『夜這い』文化
では、ここからはかつて日本に根付いていた、エッチな文化について見ていきましょう!
みなさんは、『夜這い』という日本人に根付いていた文化をご存知でしょうか?
もしかしたら、歴史の授業で習ったことがあるという記憶がある人もいるかもしれませんが、単に恋文を送りあって、夜な夜なデートする…というロマンチックな説明を受けたのではないでしょうか?
もちろんそれは間違いではありませんし概ねそれで夜這いの説明はOKなのですが、夜這いのメインはデートではなく、実はセックスだったのです。
この文化は、江戸時代よりもはるか昔の平安時代ごろから根付いていて、世の男女は顔や性格よりもセックスの相性がいいかどうかで、結婚をするかしないかというのを決めていたのですね。
ですので、当時の女性は、気に入ってもらおうと男性に奉仕する練習を日頃から重ねていたのだそう!
エロ歴史!江戸時代の『花魁』文化
江戸時代の裕福な男性の遊びとして、『花魁(おいらん)』という文化もありました。
花魁というのは、有名な映画などによって描写されたり、花魁をメインとした作品があったりなど、その存在は現代の人たちにも馴染みがありますよね。
江戸時代の男性は、お気に入りの花魁とセックスをするために、少なくても3回はその花魁の元へいく必要がありました。
花魁とのセックスに至るまでは、「初会」と言われる、文字通り初めての面会という経験を踏みます。しかし、ここでは花魁には相手はして貰えず、花魁はここでその男性のことを良いか悪いか見極めるのですね。
そして2回目は「裏」と呼ばれ、この裏でも花魁とは会話をしたり飲食を共にするということはありません。ですが、この「裏」の段階を踏むことで、男性は他の花魁とは浮気をする事は許されなくなります。
そしていよいよ3回目の「馴染み」で、お目当の花魁とセックスが出来るのです。
江戸時代の花魁はエロいだけじゃない?過酷な背景
花魁というのは、きらびやかな服に身を包んで綺麗にお化粧をし、華やかな世界であるようにも見えます。
しかしこの花魁になるまでに、江戸時代の女性は様々な過酷な生活を歩んできたのです。
行く行く花魁になるとされていた女性は、わずか10歳ほどで花魁の先輩にあたる人から教育を受け始め、禿(かむろ)と呼ばれていました。
15歳くらいになると、見習い的存在にあたる振袖新造となります。セックスまではせずとも、花魁のサポートとしてお客さんの相手をする事もあったのです。
新造が花魁となるには、「水揚げ」と言われる、いわゆる初体験の儀式があるのですが、もちろん相手は選べません。上の人に用意された男性とセックスをしなければならなかったのです。
この花魁への道を歩む若い女性たちは、その多くが借金の返済のためにと親から売り飛ばされてしまった人たちだという、過酷な逃げられない現実があったのだそう。