「恋は盲目」の意味は?どんな時に使うの?
恋愛をしていると、ついつい相手に夢中になってしまったり、相手のために尽くしたいと思ってしまうものです。
ですが、それは行き過ぎてしまうと自分も相手もだめになってしまいます。そんな状態になっている人のことをよく「恋は盲目」と表現しますよね。
それでは、実際「恋は盲目」ということわざの意味はどのようなものなのでしょうか?まずは「恋は盲目」のことわざの意味から見ていきましょう。
「恋は盲目」とは、恋愛に夢中になりすぎることで、理性を失ったり思慮が欠落している状態になっていることを意味しています。恋人や恋そのものに夢中になりすぎることで、周りのことも恋人のこともちゃんと見ることができないことを意味しています。
「恋は○○」「愛は○○」の類語やことわざ集
「恋は盲目」のことわざの意味についてご紹介いたしましたが、こちらでは「恋は盲目」の言葉の類語や、その他の恋愛に関することわざについてその意味をご紹介いたします。「恋は◯◯」「愛は◯◯」ということわざは数々あり、恋愛は古来から人々と根強く結びついていたものであることがわかります。
「恋は盲目」の類語
まずは「恋は盲目」ということわざの類語についてご紹介いたします。恋をすることで理性を失ってしまうという意味とほとんど同義であることわざにはどのようなものがあるのでしょうか?
類語①恋は思案の外
まず、「恋は思案の外」ということわざが「恋は盲目」の類語として挙げられます。「恋は思案の外」とは、恋愛は理性で制御することができない、思案するところの枠外にあるという意味のことわざになります。
それは自分自身でもわかることができない上、恋人にも他人にも知り得ることではない、つまり予測することができないものであるという意味になります。
類語②愛してその醜を忘る
また、類語として「愛してその醜を忘る」ということわざも挙げられます。「愛してその醜を忘る」とは、恋愛をしているとその恋人に夢中になってしまい、相手の「醜」つまり欠点や醜いところも気にならなくなってしまうという意味になります。
人には誰しも欠点があるものですが、恋愛はそんな欠点も気にならなくさせたり、むしろ欠点も美点に見えてしまうようにさせてしまうことを表しており、「恋は盲目」のことわざの類語として見ることができます。
「愛は◯◯」「恋は◯◯」のことわざ集
「恋は盲目」の類語についてご紹介いたしましたが、恋愛に関することわざは他にも数多く存在します。こちらではそんな「愛は◯◯」「恋は◯◯」ということわざについて他にもご紹介いたします。
それは古事成語として、実際にあった出来事から起因していたり、恋愛に関する教訓やいわゆる「あるある」から起因しているものも数多く存在します。
ことわざ①愛は屋上の烏に及ぶ
まず、「愛は屋上の烏に及ぶ」ということわざがあります。恋をしていると、恋人や好きな人の家の屋根に留まっている烏でさえ愛おしく感じてしまうという例えから起因していることわざで、ある種では「恋は盲目」の類語としても見ることができます。
恋愛はその恋人だけでなく、例えば好きな人の持ち物が近くにあるだけで気になってしまったり、ドキドキしてしまうなど、恋人の好きなものや身の回りのものまで愛おしく感じてしまうということはありませんか?
ことわざ②愛は小出しにせよ
また、ことわざとして「愛は小出しにせよ」という言葉も挙げられます。「愛は小出しにせよ」とは、ある種の恋愛における教訓のようなことわざで、恋愛は最初から全力で愛情を注ごうと夢中になればなるほど長続きはしません。
逆に少しずつ、自分の無理のない程度にゆっくりと愛を育んでいくことで恋愛は長続きするという意味に繋がります。まさに「恋は盲目」になって恋人に全力で愛情を注いでいる人に贈りたいことわざです。
ことわざ③恋はし勝ち
「恋はし勝ち」ということわざは、好きな人へのアピールはやったもの勝ち、口説いたもの勝ちという意味になります。好きな人に積極的にアピールできず尻込みしている間に、好きな人は他の誰かと結ばれてしまうかもしれません。
そうなる前に、恋愛は積極的に相手に愛情表現をすることが大切であることを意味しています。先ほどご紹介した「恋は小出しにせよ」のことわざとは対義語にあたることわざでもあり、恋愛の難しさを垣間見ることができます。